イラク占領をめぐる最新情報
イラク失業者がナシリアでデモ 「イラク労働者の声」(イラク失業労働者組合海外代表部発行)NO.4 04年2月19日
(訳 全交イラク監視センター情報発信プロジェクト)

 2004年2月15日、数百人のイラク人失業者がナシリアの連合国軍暫定統治当局の事務所前でデモンストレーションを行った。デモ参加者の掲げる横断幕やプラカードに書かれている言葉は、「我々は仕事と社会サービスの回復を要求する」「未払い賃金を支払え」であった。

 ナシリアの失業者デモ参加者の代表は、公務員を職場に戻せ、未払い賃金を即時配布せよ、全失業者に仕事を提供せよと要求した声明を読み上げた。先週のデモに参加したアジス・アブドゥル・シャヒドは言った。「私は障害者で、全部の政党に仕事と援助を欲しいと要請に行ったが、誰も私の状況に関心を持ってくれなかった」。アデル・ターキーは言った。「私は石油保護当局に仕事をくれるようにと頼んだのだが、彼らは200ドルのワイロを求めてきた。私にはそんな金は払えない」。元兵士のスター・カシムは言った。「この4ヶ月間私は全く給料を受け取っていない。2003年5月1日にイラク軍が解散させられて以来、イラクの失業は急速に増えている」。

 イラクの失業者による同様のデモが南部の都市のオマラやクートで開催されたが、地方警察と連合軍が平和的な抗議行動に対して銃撃をしたので流血の事態で終了した。

アル・ナシールたばこ会社の従業員はストライキを継続

 2週間以上にわたって、アル・ナシールたばこ会社の労働者は、過酷な労働者の生活状況や上がり続けている物価に基づいた賃上げと新しい職階級を要求してストライキに入っている。労働者は唯一の収入であるにもかかわらず、勇敢にも賃金の受け取りを拒否している。

 多数の産業部門の労働者が、アメリカの占領当局と占領当局がお手盛りで選んだ統治評議会によって押しつけられた職階級に反対する抗議行動を開始した。じゅうたん会社や皮革産業や綿工業や、公営パン工場や、家具会社や、保健労働者や、南部石油会社や他の公共企業や公共機関が新しい賃金体系に反対するデモを行った。何千人もの労働者が、新職階体系に反対する苦情を提出し、抗議手紙を書いた。

 抗議行動が盛り上がっているのは、占領当局が労働者の利益に反する独断的な決定を押しつけないようにするためである。多数の産業の労働者がこの新職階体系に反対するデモをもっと多数開催する準備をしている。改革を求めて毎日闘うことが、占領当局に労働者の意志を押しつけ、労働者との協議や労働者の基本的権利と利益を考えないで決められたあらゆる決定を撤回させるための唯一の道である。

労働者の闘い万歳!    イラク労働者評議会労働組合協議会、FWCUI、2004年2月8日
(訳 全交イラク監視センター情報発信プロジェクト)

北部ガス会社の労働者がストライキ

 キルクークの北部ガス会社の労働者が2004年1月31日にストライキに突入した。このストライキは労働者が占領当局に自分たちの要求に応えるように要求してから始まった。労働者はバース党時代以来いまだにその地位にある会社の経営者を交代させるように要求した。それに加えて、労働者は賃上げと報奨金の労働者内での平等な分配を要求した。

 会社の全労働者がこのストライキに参加した。交渉会議が経営者と労働者代表の間で開催された。生産、技術、経理、経営など4部門の部長が解任されることが合意された。経営者は巨額の賃下げの結果を招く職階級を変更することと、労働者によって出されている他の全ての要求に応じることに同意した。
我々は米国の占領当局とイラク中央銀行の銀行労働者に対する行為を糾弾する 
イラク労働者共産党  2004年2月15日
(訳 全交イラク監視センター情報発信プロジェクト)

 深刻な先例として、イラク中央銀行は銀行の会計係と出納係に、銀行が主張するような未払い金の準備のために数百万イラク・ディナールを支払うようにという警告文を送った。銀行も銀行労働者が新通貨を偽造通貨と入れ替えていると非難し、アル・ラシド銀行の7人の女性銀行労働者を横暴にも逮捕することとなった。

 イラク労働者共産党は、異なった銀行や支店の会計係や出納係に対するこうした根拠のない逮捕や脅迫を糾弾し、占領軍当局とイラク中央銀行がこの財政上の横領に全責任があると考える。占領軍当局とイラク中央銀行は通貨の数の計算と選別をするためのどんな委員会を結成することも全く怠ったことは言うに及ばず、新通貨導入の全過程を監督する助けになったであろう通貨交換過程の準備を作り上げてこなかった。
彼らは恥知らずにも自らの怠慢の責任を、銀行員が金を払えなければ根拠もなく逮捕するか逮捕すると脅迫することによって、会計係や出納係に押しつけているのである。

 イラク労働者共産党は女性の逮捕者を即時釈放するように要求し、銀行労働者に対する間違った非難と脅迫を即時停止し、この問題に関するあらゆる手続きを停止するように要求する。同時に、イラク労働者共産党は先頭に立って、労働者を守り、労働者の要求をアメリカの占領当局とイラク中央銀行に押しつけるために彼らの抗議行動を強化するだろう。この点に関して、我々は2004年2月15日の日曜日に開催されるデモへの支持を表明する。
イスラム主義者の選挙か、それともアメリカによる議員総会か
ムード・ケタブチ(Mahmood Ketabchi イラク労働者共産党)   2004年1月29日
(訳 全交イラク監視センター情報発信プロジェクト)

 アメリカ政府とイラクのイスラム主義者の間のイラクの将来の政府の創設を巡る論争は、西欧のブルジョアと自由主義のメディアにイラクが自由か専制かの決定的な岐路にあると世界に伝える機会を与えている。その上メディアの表現では、アメリカ政府は「西欧流の非宗教的な民主的モデル」に基づいたイラクを建設したいが、その方で、西欧の自由主義的な占領に反対する記者たちはシスターニが「民衆の民主的選挙」を呼びかけると呼ぶものに大変夢中になっている。

 イラクにおけるアメリカの行政官であるブレーマーが専制政治を擁護し、シスターニが自由を求めている、あるいはその逆であるなどと、信じなければならないのだろうか?このようなイラク情勢の描き出し方は、完全に無意味で現実を曲げたものである。イスラム主義者が選挙を呼びかけているのは、安全で自由な環境でイラク民衆が自らの政府を作る権利とは何の関係もない。選挙の代わりに議員総会を開くというポール・ブレマ−の計画も、イラクで自由な非宗教的な社会を建設したいという彼の願望から出ているものではない。アメリカ政府とイラクのイスラム主義者の間の争いは反動の両極の陣営間の権力闘争であり、彼らは実際には手を取り合って働き、イラク社会を完全な破壊と宗教戦争と民族浄化のとても恐ろしいぞっとする筋書きの瀬戸際へとイラク社会を運んできたのである。

 メディアの報道で見えないのは、アメリカとイスラム主義者がイラクの将来のために提示しているものが互いにどのように違うのかを論じることが欠落していることだ。

 選挙をするのか議員総会なのかという問題を巡るうわべの論議は、アメリカ政府とイスラム主義者の計画がイラクにとってはどういうことなのかについてほとんど語らない。実際には、選挙を行なおうが行わなかろうが、アメリカ政府もイスラム主義者も、彼らが求める政府の性格に関しては互いに大差がないのだ。反動的なイスラム主義者の陣営は宗教による専制政治を欲している。アメリカ政府はそのような政府がアメリカや他の西欧諸国と良好な関係を維持し、政治的経済的利益に奉仕する限りはこうした政府に賛成するだろう。今のところ、アメリカ政府はイラク・ブルジョアジーの最も暴力的で反動的な層以外に依拠できる人物を持っていない−つまり、イスラム主義者や部族の有力者や自民族中心主義勢力や、長年CIAの給与支払い名簿に名前が載ってきたアーメド・チャラビのような人々である。

 20年以上にわたって、アメリカ政府は自由を愛する勢力に対する反共政策を推進するために世界中でイスラム主義を助長して、サウジ・アラビアのような友好的なイスラム主義政府との密接な関係を維持してきた。同様に、イラクではイスラム主義がアメリカの支持と励ましによって中央舞台に押し出されている。市民法の家族に関する法律に残されていたものを、女性を公式に人間以下であると見なし認識するイスラム教のシャリア法に入れ替えてしまったのが、アメリカのカイライの統治評議会である。アフガニスタンでは、アメリカ政府が民衆を解放するために行ったのに、イスラム主義体制がアメリカの銃の下でアメリカの犯罪的な同盟者であるイスラム諸国によって正式に確立された。イスラム主義とアメリカの政策は手に手を取って進み、両者の間には避けられないか、必然的であるか、妥協できないような紛争は起こっていない。

 選挙と代表制民主主義は、自由や大衆の参加や政治過程の支配権とはほとんど何の関係もない。2、3年ごとに人々は市民として自らの力で自らを救うために最高の「市民の義務」を実行する機会を得て、彼らを支配し搾取するであろう人々にそれを委任する。この過程によって、我々はヒトラーやホメイニやアスナールやベルルスコーニやジョージ・ブッシュやビル・クリントンなどを得る。もしも選挙ゲームがブルジョア社会の最高の利益となる働きをするのに失敗したら、その時は彼らは銃やマチューチ[中南米の伐採用の大型ナイフ]を取り出し、血を浴びせるか、八方手を尽くして彼らが賞賛し喝采を送る過程を破壊する。選挙と選挙の物心崇拝は全くのブルジョア的偽善行為である。

 イラク民衆は自分自身の政府を選びたいという正当な願いを持っている。バース党ファシスト体制の下で何十年も苦しんだ後、彼らは自由と人間的な社会を求めているのである。イラクの民衆は実行したい権利として公正で自由な選挙を考えている。しかしながら、イスラム主義者の選挙の要求は自由やより良き未来を建設したいというイラク民衆の願望とは関係がない。それは良い機会をつかんでイラクの政治権力でより大きい分け前を求めようとする試みなのである。イスラム主義者はイラクが確実に正式に新たなイスラム共和国になるようにしたいのである。

 アル・シスターニは反動的で偽善的で日和見主義的なムラー[イスラム律法学者]で、あらゆる高位のムラーが普通そうであるように、イラクに対するアメリカの凶悪な大量殺戮政策に抵抗しろという「宗教的布告」を口にしたことも発表したことも決してない。しかし今や、いくつかのメディアのデマゴーグの助けを借りて、彼は自らが政治的野心がなくイラクの将来だけを憂慮する「神秘的」で「霊的な力がある」「謙虚で」「純粋な」男であるというふりをしている。民衆の意志に基づく代表政府を設立するために「民主的な手続きと選挙」を欲している男、というわけである。イラクでそのようなイスラム主義者の役割を演じることで人々の目を欺き、国際社会が
本当に反動的で古くさいシスターニとその取り巻きの性格を見るのを妨げようと意図されているのだ。

 イラク民衆は自らの選択で自由に政府を選挙で選ぶ権利がある。アメリカが指名した議員総会によってイラク政府を作ろうというアメリカ政府の計画は、すでにアメリカが設置した統治評議会のモデルに基づいてイラクにカイライ政権を作り上げる試み以外の何物でもない。しかし、自由選挙とは、テロや暴力や脅迫のない、安全で公開された環境の中でのみ行われるものである。自由選挙が本当の意義を見い出すのは、すべての民衆と政党の自由な政治活動が保障され守られている場所においてだけである。

 アメリカの残忍な軍事機構の下で占領されているイラクにおいての自由選挙は不可能である。アメリカ軍国主義と、右翼民族主義者やイスラム主義者の軍事暴動の脅迫があっては、イラクで自由選挙は実施できない。イラクの民衆はイスラム主義勢力が、特にイラク南部で大衆に対してテロを行っている時に、自らの選択で自由に自らの政府を選出するのは不可能である。また、アメリカのカイライの統治評議会が女性の人間性を奪い、女性を神やモスクやイスラム教の聖職者や男性の親族や男性一般に隷属させる決議137号(イスラムのシャリアー法)のような法律を採択している時にも、不可能である。

 イラク民衆が自由に自らの政府を選出する環境を作るために、アメリカのイラク占領は即時停止しなければならないし、アメリカ軍はイラクから完全に撤退しなければならない。現実的な必要性の問題として、国際的な人道と人権を守る組織の助けを受けて、イラク民衆の自由意志によって選出された政府への移行期間中に、国連が一時的にイラクを管理しなければならない。

 何よりも重要なのは、イラク労働者共産党によって示されている次の方策が、民衆の大衆闘争によって闘い取られ、導入され、実行されなければならない。

 ・完全で無条件な政治的自由、思想信条、表現、出版、集会、デモ、団体結成、ストライキの自由、政党結成の自由。

 ・国家と教育からの宗教の分離。宗教を根拠としたすべての法律や規則は撤廃されなければならない。個人は宗教を信じる自由及び宗教を信じない自由を持たなければならない。

 ・法律上、社会上、個人の領域における男女の権利の完全で無条件な平等とこの原則を侵害するすべての法律と規則の撤廃。

 ・性別、国籍、宗教、人種、民族、市民権に関わりなくあらゆる住民の完全で無条件の平等。

 ・死刑の廃止。

 ・大衆と特に政党はマス・メディアに自由に連絡が取れなければならない。


 イラク民衆の自由な環境を守るために、進歩的な政治勢力や自由を愛する組織など世界の進歩的な運動は、積極的に関与し、イラク民衆のために、自由と平等と非宗教主義と進歩とより良き世界を支持しなければならない。自由と人間らしい生活は国境を知らないのである。

また、進歩的な人類は、現在イラクで進行中の成長しつつある大衆的な進歩的で非宗教的な労働者、失業者、女性、若者の闘いの背後から明確な支援をしなければならない。この闘いこそが、反動と民族主義と宗教的残虐行為と自民族中心主義の勢力をイラクから取り除き、進歩的で人間的な社会を建設するだろう。

 イラク国内外の進歩的な人類のみが、イラク社会により良き未来をもたらすことができる。イラク労働者共産党はこの歴史的な闘いの先頭に立っている。WCPIと共に直接の国際連帯運動を築くことは、本当に自由でより良き世界の側に立っているすべての人にとっての任務であり課題である。
イラク統治評議会の女性差別決議に反対しよう! 
統治評議会の反女性的な137号決議を撤回させるための国際キャンペーン  
ナディア・マームード イラク女性の自由協会
(訳 全交イラク監視センター情報発信プロジェクト)

イラク統治評議会と連合国軍暫定占領当局宛

イラクの家族法をイスラムのシャリアーに変える統治評議会137号決議を撤回させるための国際キャンペーンに参加しよう
全世界のメディア宛 2004年1月20日

 現行のイラクの家族関係法を撤回してイラクにイスラム法(シャリアー)を導入する統治評議会第137号決議を撤回させる国際キャンペーンに参加しよう
全ての進歩的な団体と個人宛

 2003年12月29日に、統治評議会は1959年以来施行されてきた現行のイラクの家族法を廃止し、代わってイスラム法(シャ
リアー)を導入する第137号決議を採択した。この法律は数十年のたゆまぬ闘いの中で勝ち取られてきた最も基本的な女性の権利を否定し、女性の法的地位を数世紀にわたって逆戻りさせるものである。

 我々は、自由に反対し女性を嫌悪する反近代的なこの決議がイラク社会を石器時代に逆戻りさせるだろうと確信する。この決議が法律となれば、イラクの女性は厳格なイスラム法と伝統に従わないと言う理由で毎日虐待と搾取の対象になるだろう。以下のような虐待が完全に合法化されるだろう。:すなわち、一夫多妻制や、成人に達する前の結婚、快楽のための結婚(mut’ah、[ムトア婚は期間を限った契約結婚。

シーア派の12イマーム派は認めているが、スンナ派では売春と同一視され、認められていない])、ヒジャーブ[ムスリム女性がかぶるベール]着用の義務化、不倫を理由とした女性に対する投石による死刑、女性に対する酸の投げつけ、イスラム法に従わなかったことを理由とするむち打ちの刑、夫の妻に対する殴打、公共の場での男女の分離である。女性は夫の許可なく家を出る権利を否定されるだろう。女性は同姓の付き添いなしで旅行することや、結婚後に教育を継続したり、離婚を求めたり、家族の許可なしに配偶者を選んだり、子供に対する親権を行使したりはできなくなるだろう。女性は多数の分野で働くことを禁止され、同様にスポーツやダンスや歌を歌っ
たりするのに加わることも、音楽を聴くことさえも禁止されるだろう。

 現行のイラクの家族法は、バース党体制によって修正されたが、それ自体はシャリアーに基づく反動的で反女性的な法律である。この法律は、女性の権利を否定する反動的で女性を嫌悪する法律に代えるのではなく、女性の権利の確保を擁護する進歩的な法律に代えられなければならない。

 イラク女性の自由協会は統治評議会の第137号決議を撤回させる国際キャンペーンを展開している。我々は全ての個人と進歩的な組織に我々のキャンペーンを支援するように訴える。
我々は皆さんにこの請願に署名をしてイラク女性の権利を守るように要請する。

このキャンペーンは以下の行動によっても支援できる。
・この請願文を友人や親戚の中で回覧し署名するように求める。
・イラク統治評議会と連合国軍イラク暫定統治当局に抗議の手紙を書く。
・人権団体や進歩的組織に連絡を取って、第137号決議に反対するように要請する。
・この問題について皆さんの国内のメディアに手紙を書く。
あなた方の支援がイラク女性の運動を力づけることでしょう。

ナディア・マームード   
イラク女性の自由協会

(資料)

統治評議会第137号決議
 慈悲深く憐れみ深いアラーの名において
1.結婚、婚約、夫婦間の結婚上の契約、結婚の適格性、結婚の登録、婚期に達していない者、非ムスリムの女性の結婚、持参金、全配偶者扶養料、離婚、裁判による別居、離縁(妻から夫に支払われる金の補償金に代えて妻を離縁すること)などの結婚上の権利、イダット(夫を失った女性か離婚者が再婚できない期間)、相続、世襲の費用、授乳期間、子供に対する親権、直系尊属、最近親者、遺言、遺言による遺贈、寄付、財産相続に関しては、全ての公式の法廷(個人の問題については)において、その宗派に従って、イスラムのシャリアーの規定を適用する。

2.この決議の第1項に相反するあらゆる法律、決議、規制、命令、声明、規定を廃棄する。

3.この決議は発表の日から有効である。
アブドゥル・アジス・アル・ハキム  統治評議会代表  2003年12月29日

3月20日イラク占領を止めるためのニューヨーク統一デモの共同声明
(訳 全交イラク監視センター情報発信プロジェクト)

 3月20日全国連合と3月20日動員委員会は2月6日の木曜日に、2度開いた内の第2回の会議を開催し、20以上の団体、ネットワーク、連合体の代表が参加して、3月20日にニューヨーク市において統一デモを開催することを満場一致で決定した。

 二つの連合体はまた、この会議で互いに合意した文面の共同声明を発表し、ニューヨーク市での許可済み及び申請中のあらゆる申請を共有することに満場一致で合意した。ニューヨーク市における統一デモに関する手続き場及び詳細な計画上の問題は二つの連合体の間で解決されるだろうし、両連合体は昨夜、この文面を本日発表することで合意した。

 この会議の精神と熱意は、我々全てが3月20日に統一した立場を取ってデモ行進をするべきであると言うアメリカ国内の広範な進歩的運動の気持ちを反映していた。


3月20日全国連合と3月20日動員委員会との間で開かれた2月6日の会議の声明

 3月20日、アメリカの対イラク戦争開始1周年地球行動日が全世界の都市の街頭に何十万人もの人々を連れ出すだろう。ニューヨーク市においては、3月20日全国連合と3月20日動員委員会がブッシュ政権の犯罪的な帝国建設政策と国内外に対する影響に反対する統一デモを組織している。
 
 我々はイラクに対する占領と企業による支配を終わらせ、今アメリカ兵士を帰国させるためにデモ行進を行なう。我々は人間にとって必要なものに資金をあて、社会福祉計画の削減を取り戻し、絶えず拡大するあらゆる移民や労働者の権利やあらゆる人の市民的権利に対する攻撃に反対するためにデモ行進を行なう。−そして我々はアメリカ国内外における人種差別に団結して反対する。

 我々は多様性に富む地域社会や組織を代表していてブッシュ政権の政策に反対する理由は多岐にわたるが、3月20日には我々は一緒にデモ行進をする。共に活動を進めることによって、我々2つの連合体は3月20日に大規模な参加者を動員し、強力で明確なメッセージを送ると確信している。

3月20日全国連合
 −ANSWER(戦争を止め人種差別を終わらせるために今行動しよう)連合
 −アル・アワダ(パレスチナへの帰還の権利連合
 −アラブ・ムスリム・アメリカ連合
 −パレスチナに自由を連合
 −ムスリム系アメリカ人社会自由基金
 −アメリカ・カナダ・ムスリム学生協会
 −全米法律家協会
   他

3月20日動員委員会
 −UFPJ(平和と正義のための連合)
 −アメリカ反戦労働者の会
 −兵士を今すぐアメリカに帰せキャンペーン
 −Not In Our Name(我々の名前で戦争をするな)
 −キャンパス反戦ネットワーク
 −青年学生全米平和連合
 −イスラエルによる占領を止めよう全米キャンペーン
占領軍が失業労働者のデモを弾圧 
イラク労働者共産党隔週政治紙 Forward(前へ) No.27  2004年1月15日号
(訳 全交イラク監視センター情報発信プロジェクト)

 数千人の失業者がここ数日南部の都市のバスラやイマラやクートで仕事を食料を要求するデモを行った。 
 多数のメディア報道が直近のデモを「失業者の反乱」と表現した。この現在進行しているデモは規模が段々と大きくなり、占領軍と地方警察が暴力的対応をとるようになり、恐るべき悲惨な状況に対する大衆の怒りが広がっていると伝えられているが、今後もっと多数の抗議行動が行われるだろう。

 2004年1月10日の土曜日に、イギリス軍と地方警察が、南部の都市のイマラで失業者による大衆抗議行動の中で、イラク人6人を殺害し8人を負傷させた。イギリス軍と地方警察が実弾発射で応じた時に、この平和的な抗議行動で6人のデモ参加者が命を失った。この週末のデモ参加者たちは仕事を与えるか基礎的な生鮮食料品の形態で失業手当てを払えと要求していた。

 2004年1月12日の月曜日には数百人の失業者が州知事ビルの前に再び集まった。
 デモ参加者たちは週末の衝突の後要求を拡大して、公共サービスや電気やガスや犠牲者の家族への補償を入れた。仕事と生鮮食料に加えて、彼らはまた、新知事を選ぶ選挙を実施し警察機動隊や「緊急部隊」を廃止せよと要求した。

 リアード・アル・マフード現知事が地方警察を促して先週土曜日に州知事ビルの前に集まったデモ隊に向かって銃撃をさせたのだと信じられている。アル・マフード家の他の2人は土曜の銃撃に直接関与していた。リアード・アル・マフードはイラク統治評議会の一員のカリム・アル・マフード・モハマダウィの兄弟である。月曜日のデモは重武装したイギリス軍が現場に到着した時にすぐに解散した。この町の住民は自分たちの要求を述べた声明を配布して、デモ参加者を銃撃し、射殺し、8人を負傷させた人殺しを裁判にかけろと要請した。

 2004年1月12日の月曜日に、数百人の失業者が2日目の街頭デモをクートで行った。デモ参加者は市の東部のウクライナ軍の空軍基地の前に集合した。ウクライナ軍は催涙ガスを使用し、デモを解散するために空に向かって警告の銃撃を行ない、少なくとも一人のデモ参加者を肉体的に攻撃した。デモ参加者はそれから州知事ビルまでデモ行進をしてしばらくそこを占拠した。

 2004年1月13日、再びクートで数百人が仕事を要求してデモを行った。デモ参加者が地方警察とウクライナ軍と衝突したときに撃たれた結果数人が負傷した。

 2004年1月11日の日曜日に、米軍が7人のイラク人を殺した。占領軍はこの殺されたイラク人たちは石油を盗んでいたのだと主張してこの犯罪を正当化した。

 2004年1月12日、イラク航空の元職員の数十人が連合国軍暫定統治機構のあるバグダッドの元会議宮殿の前でデモを行った。彼らはイラク航空が飛行を再開してアメリカ軍はバグダッド空港を立ち退かなければならないと要求した。デモ参加者たちは「イラク航空の従業員は占領軍に民間航空の仕事を開始させろと要求する。」と書いた横断幕を持っていた。


アメリカによる組合禁止に反対する労働者 アラン・マース、グリーン・レフト・ウィークリー 2003年11月5日 シカゴ
(訳 全交イラク監視センター情報発信プロジェクト)

 「本当に勇気づけられたのは、想像できるもっとも困難な状況の下で、労働者が一刻も待たずに組合の組織化を開始したことです。」と報告した労働ジャーナリストのデビッド・ベーコンは、反戦アメリカ労働者の会(USLAW)とフランスの労働組合の活動家の代表団の一員としてイラクを訪問してきた。

 国際港湾倉庫労働組合第10地方支部の元書記・財政部長のクレアレンス・トーマスと一緒にイラクで見たものは、「兵士と爆弾攻撃者」にしか焦点を当てない企業メディアが気がつかないままに通り過ぎてしまったものである、とベーコンは言った。

 「イラクには数百万人の労働者がいます。」とベーコンは10月18日にシカゴで開かれたUSLAWの全国大会の夕方の討論会の後に語った。「イラクの労働者はこの体験の中を生き延びようと努めています−つまりそれは、本当に困難な状況のまっただ中で、仕事に行って、家族を養い、自らの住居を見つけるということなので」

 サダム・フセインの政府が崩壊し、アメリカの高官が経済は「再建」されると約束して半年以上たつのに、イラクの失業率は70%だと推計されている。毎日を生き延びて行くだけでも民衆の大多数にとっては大変な問題である

 「[アメリカの最高統治者のポール・]ブレーマーによって3ヶ月前に約束された18米ドルの30%賃上げに加えてローンと土地というのはいまだに実現していない。」とエワ・ジャシエウィクツが10月19日に書いている(占領監視センター)。ジャシエウィクツもUSLAWの代表団に同行した。勤労者に対しては平均
賃金は1ヶ月60ドルである−これが連合国軍暫定占領当局のアメリカの占領者によって定められた「緊急」賃金支払いである。

 その賃金はフセイン支配下の時と全く同じであった−しかし、イラク国民は食料と住居の助成金も受け取っていたのにアメリカの支配下ではなくなってしまった。「だからイラク労働者の収入は落ち込んでしまったのです。」とベーコンは指摘した。
「そしてそれでは交換価値にさえ見合わないので、輸入されたものにはどれも価格が見合わなくなっています。」


労働組合はいまだに非合法

 ベーコンとトーマスに会ったイラク人たちは、もしもワシントンがイラクの民営化計画を実行すると、最悪の事態がやってくるのではないかと恐れていると言った。すでにCPAはイラクの企業の外資による100%の所有を合法化し、「イラクへの新規参加者」の法人税額をわずか15%に設定した。

 しかしながら、労働組合に関しては、アメリカの占領当局は「フセインによって採択された彼らにお気に入りの法律」を見つけだしたのです」とベーコンは言った。1987年に採択されたこの法律は国有石油企業で労働者が労働組合を組織することを禁止している。アメリカの当局者はこの法律を適用し続けているのである。
 「この法律を支えるために、6月にブーレーマーは別の「禁止活動」に関する規則を発表した。禁止される活動の条項Bは、工場またはいかなる種類の経済的に重要な事業においても、いかなる種類のストライキまたは破壊活動をもいかなる者にも組織するように教唆すること、とあります。こうした行為に対する罰則では、占領当局によって拘束され、戦争犯罪人として取り扱われるのです。」とベーコンが説明した。
 トーマスはこう言い換えた。「アメリカ政府はこんな風に展開すると脚色した構図を描き出しているのです。つまり、もしも我々が撤退したらその後、イスラム原理主義や民族紛争やあらゆる種類の大混乱がやってくるだろう、と。しかし彼らが本当に恐れているのは民主主義なのです。彼らはイラクの労働者が組合を組織し力を持つ、つまり労働組合の権利を持つのを見たくないのです。」

 しかし、アメリカの侵略と政府の崩壊から数日以内に、イラクの労働者は工場で、波止場で、石油産業の施設で組合の組織化を開始し、それは「単に賃上げを勝ち取るためだけではなく、自分たちの仕事を自らの手に握り、自分たちの働く施設を自らの手に握るために闘うためなのです。」とトーマスは言った。


新しい組合

 トーマスは、イラクの新しい労働運動は主要には2つのグループによって形成されていると付け加えた。一つは労働者民主労働運動で、1980年代にバース党体制によって地下活動を強いられた独立した労働組合の連合体である。その古手の活動家たちは警察国家が崩壊したのを好機として復興を遂げ、5月に結成された新しいイラク労働組合連合(IFTU)の中心部分を形成している。

 同時に、より若い活動家たち−イラク労働者共産党の党員を含む−はイラク失業者組合(UUI)を結成した。どちらの活動家グループもアメリカの占領に反対している、とトーマスは言った。

 彼によると、主な相違点は、UUIに結びついた活動家は「組合結成やストライキを禁止する現行の様々な法令に立ち向かう争議行為を何の躊躇もなく支持します」。
より古手のIFTUの組合活動家は、占領に抵抗している旧体制の諸勢力によって「争議行為が利用されると考えているので、争議行為やデモを組織するのにIFTUが慎重なのだとは思っていません」。

 最近の記事で、ジャシエウィクツはバグダッド東方48kmの大規模な工業団地の一角のレンガ工場の労働者の闘いを書いている。

 過酷な労働条件と14時間交代勤務の賃金が日給3000ディナール(1.50米ドル)というのに耐えかねて、10月に労働者の4分の3がストライキに入った。彼らは経営者の事務所にデモを行い、賃上げと正式な雇用契約と工場の敷地内の医療施設と退職手当を要求した。

 「経営者は組合が結成されるなんて考えてもいなかったし、彼らには『よろしい、 ストライキをやれよ。そうしたらお前らの首を切ってやる。お前らの代わりの者が来るだろう。』」とジャシエウィクツは書いた。「労働者たちはそれに対抗して、家に帰って銃を持って来て、自然発生的な武装ピケットラインを張った。」

「機関銃で武装して、労働者たちは工場を守りスト破りからストライキを防衛した。
経営者は圧倒されて、結局労働者に500ディナールの賃上げを与えた…そして社会健康手当てに関しての交渉に入ることに合意した。ストライキは全体的に大勝利だと見なされた。」

 ベーコンが言うには、「アメリカ人がイラクに注目し人々の姿を見ることができる」ように、反戦グループがこのような闘いに注目をすることで多くの役立つことができると言っている。イラクにおける労働者の闘いの真実と、アメリカの政治家が労働組合の組織化をすることを犯罪にしているという事実をつかめば、アメリカによる
イラク占領に高まりつつある疑問に付け加えることができる。

[アラン・マースはアメリカの国際社会主義者の組織の新聞であるソシャリスト・ワーカーの編集者。]

25万人のイラク失業者組合(UUI)は占領軍撤退と民主的な社会をめざして闘う
失業者労働組合とそのイラクの政治環境形成における役割

 イサム・シュクリ[Issam Shukri]  2004年1月15日
 *イサム・シュクリはUUIの国際関係責任者でイラク労働者共産党(WPIraq)中央委員
(訳 全交占領監視センター情報発信プロジェクト)

 イラク失業者労働組合(UUI)はイラクの失業者の抗議行動の組織である。UUIは2003年5月1日のバグダッドのサダム政権の没落の直後に労働者と政治活動家のグループによって結成された。
 UUIはかつての悪名高きバース党の「イラク労働組合総連合」の略奪され放棄されたビルに集まった20人の革命的な失業労働者のグループによって創設された。民主的な過程を経て、彼らは執行委員会を選出し、その次に、指導者にカシム・ハディを選出した。執行委員会はすぐに失業者の要求とUUIの任務についての声明を提出した。

 その日以来、UUIはアメリカの戦争機構によって引き起こされた恐るべき前代未聞の混乱と破壊のまっただ中にいるイラクの何百万人もの失業した女性・男性のための一連の闘いに取り組んできた。その要求は「全ての者に仕事か失業手当てを」であった。この闘争を通じて、UUIはイラクの市民社会の中で模範的な姿を示してきた。つまり、進歩的で教養がありしっかりした規律を持ちながら、戦闘的で積極果敢なのである。アメリカが押しつけた長年にわたる破壊的な経済制裁、バース党の長年の抑圧と独裁、アメリカ軍による恐ろしい戦争と爆撃のあげく、闘いの手段も生きていくだけのための手段もあらゆるものが失われたように見えていた。UUIは米英占領軍に後押しされた新たなイスラム/民族主義ブルジョアジーがイラク労働者を搾取することに対する極めて重要な回答となった。

 UUIの闘いはイラクの全労働者の失業手当て要求を中心に展開していたが、それに限定されはしなかった。ますます増加する組合員によって組織されたデモの第一ラウンドの中で、UUIは労働者のための仕事と生活保障を要求した。その次に要求は鋭くなって正確でさらに焦点が合ったものになった。当時、全イラク人失業者の最低失業補償は1ヶ月100米ドルとなり、失業問題の統括をUUIがするようにという要求がアメリカ当局(CPA−連合国軍暫定統治当局)にも送られた。UUIは急進的で平等主義を進める社会勢力であり、アメリカによる占領とそのカイライの「統治評議会」に反対しているだけでなく、イラクのイスラム主義者や他の腐敗したファシストや民族主義者の台所で調理されてきた「暗黒のシナリオ」にも反対した。

 UUIはバグダッドで13の、他のイラクの行政単位で7つのデモを開始し、バグダッド、キルクーク、ナシリヤで座り込み抗議行動を主催し、最初の座り込みは45日間続いた。UUIはまた、CPA(アメリカの文民統治機関)と3回の交渉に入り、会談を13回行なった。結果としてアメリカ側がUUIのどの要求の達成にも真剣でないと確認するに至った後、UUIは最終的にこの交渉から引き揚げることを決定した。継続して圧力をかけた後、労働大臣は危機に対する共同の解決策を得るためにUUIと一緒に働きたいと要請してきた。

 しかしながら、UUIは自らを経済的な要求に打ち込んでいるだけの組織だとは考えていない。UUIは、政治的な取り組みに継続して参加し進歩的な労働者の基盤に基づいて情勢を分析することを通して、イラクの政治分野の形成に重要な役割を果たした。UUIはまた、イラクの市民社会を占領者によって支持された部族主義や宗教的狂信主義へと陥らせるのを止めるために重大な役割を果たし、今も果たしている。UUIが最初の数回のデモを行った直後、イラクの一般民衆は直接又は間接的にUUIのこととその「[神の]正義にかなった」目的について語り始めた。

 イラク国内外のメディアはUUIに焦点を当て始め、多大な共感を持ってその闘いについての長い報告を伝えた。メディアが語り始めたのは、醜い宗教上の流血の儀式!!よりもアメリカとその連合軍による貧困と民衆の富の略奪についてであり、スンニ派とシーア派の分断よりもイラク労働者の極貧の状態についてであり、PUK[クルド愛国同盟]や「トルクメン民族戦線」や旧バース党の原型である「ムクタダ・アル・サドル・グループ」によって養成されている民族間の憎悪やファシズムの台頭よりもイラクにおける急進主義者と非宗教主義の台頭する勢力についてなのである。

 全世界のジャーナリストが男性も女性も、UUIの闘いに参加した。彼らはバグダッドの道路の燃えるように熱いアスファルトの上の最前線で組合員と一緒に座り込み、組合員と同じように脱水状態になり、胸にアメリカ兵のナイフや銃を突きつけられたが、失業労働者組合の組合員をこう呼んだ。−イラクの英雄であり救済者である、と。

 世界的な団体が支持の声を送り闘いに参加するために代表を送ってきた。全世界でイラクの労働者を守るために何百もの支援の記事と手紙が書かれた。GC(統治評議会)は何週間も無視していたが失業が深刻な問題であると認めざるを得なくなり、差し迫った問題を解決する方策を見つけようと狂ったように頭をかきむしっていた。労働者の圧力の下で彼らは少なくともそのようなふりを続けていた。イラクの情勢全体が劇的に変化したのだ。

 今日では、UUIはイラク全土に登録組合員が約25万人になるまでに成長した。そして失業率が70%に急上昇する中で、UUIの役割はかつてなく極めて重要で決定的なものになっているように見える。最近、バグダッドや他の都市で何十もの抗議行動が行われ、占領軍やイスラム主義者、イラク警察によって何十人もが射殺され殺害された。UUIはこうした抗議行動の先頭に立ち、要求達成へと導いていかなければならない。UUIは今日、何千もの失業労働者の組合員を再び街頭に連れ出す新しい戦術と戦略が必要になっている。何千人もの人間によってバグダッドの道路を封鎖し、イラクを労働者や女性に対するイスラム主義者のテロの発射台に変えてしまう統治評議会の反動的な計画を阻止し、アメリカ軍がイラク民衆の政治的意思を真剣に考慮し、その結果イラクを去らざるを得ないようにしよう。そうしなければUUIは歴史的な好機を逃すことになるだろう。

 強力な行動計画がなければ、状況は反動的なブルジョアジーにとっては「相変わらず」のままであろうし、イラク大衆にとって生活はかつてなく悲惨で耐え難いものにさえなるだろう。2004年6月に新しく「任命された」政府の発足が予定されている中で、イラクはアメリカやイスラム主義者と自民族中心主義者の同盟によって地獄の縁へと追いやられつつある。UUIは人々を闘いの場へと連れて行く役割を果たさなければならない。UUIは、労働者の政治政党であるイラク労働者共産党−それはアメリカとそのイラク国内の同盟者によって用意された「暗黒のシナリオ」の中では妖怪であるが−と共に、計り知れないほど長期にわたって何百万人ものイラク人の生活と運命に離れずに寄り添い続けるだろう。暗黒のシナリオを変えるために働こう。イラクの困窮する全ての民衆の繁栄と自由と平等のために働こう。

イラクの石油労働者はKBRを拒絶し、職場を自力で再建
エワ・ジャジーウィクツ   国際占領監視センター 2003年12月12日
(訳 全交占領監視センター情報発信プロジェクト)

 イラクの南部石油会社[SOC]の組合活動家は、ディック・チェーニー米副大統領が以前会長をしていたハリバートン社の子会社であるケロッグ・ブラウン・アンド・ルート社[KBR]を職場に入れないと宣言した。KBRは爆撃によって粉々にされたイラクの精油所と製油設備を再建するためにUSAID[アメリカ援助開発計画]から入札なしの契約を与えられた。その契約にはイラクの石油の輸出と市場への販売の権限付与が入っていた。しかし、1万人以上の労働者を代表するSOC組合は、KBRの代表と外国人労働者の職場への立ち入りを全て禁止した。SOC組合議長のハッサン・ジュマは言う。「たった今に至るまで、外国人労働者に来てもらう必要は全くない。我々は全て自分たちだけでできる。」

 クウェートの下請け会社であるアル・コラフィ社によってインド人とパキスタン人の労働者が雇われてから、10月にバーゲシーヤの石油精製所と管理部で労働争議が勃発した。労働者は2日間の山猫ストを打ち、外国人労働者の身柄を職場に入れるのを拒絶して、代わりに失業率70%のイラク人を雇用するように要求した。外国人労働者の雇用は即座に停止された。

 イラク占領監視センターは、北ルメイラの原油の汲み上げ事業所と掘削とガスの会社であるSOCの労働者を訪問し、労働者が自らのすり切れた工具と、古い設備から取り外したスペア・パーツと国内市場から買ったパーツを使って、独力で仕事の再建を実行していることを発見した。事業所の水注入部門で働く技師のアリ・モハマド・ジョワドは占領監視センターに言った。「我々はKBRの経営者が仕事を復旧するためにどんなこともやる姿を見たことがない。彼らはどんな点でもどんな再建の取り組みにも参加していない。KBRは我々の設備を点検しにやって来て、略奪を受けた設備を修復すると約束したが、今になっても何も修復されていない。」

 労働者は6月に、水ポンプや油井安全測定器など可能なものを洗浄し修復することから独自の再建を開始した。アリ・モハマドの回想では、「この補修をしている間に、我々自身も泊まれるような場所を作るために休息と睡眠をとる場所が必要だとも考えた。」労働者によると、再建は建物に関して必要なものの内の40%であり、労働者は独自に設備の50%を再建した。「KBRは我々の仕事を見たことさえないが、我々が補修をしたことについては全く言わない。我々がやった仕事は全て我々が独自にやったことだ。」とアリ・モハマドは言う。13年前の第一次湾岸戦争の廃墟の後に北部ルメイラを再建したのと同じ労働者の多くが今回の戦争の復興にも参加している。

 SOC労組議長のハッサン・ジュマは、6人の子供の父親で、1999年にミサイルが爆発した、通りに大量のゴミが腐っているジュフーモウリア地域の、使い古した崩れかけた家に住んでいて、彼はバスラ全域で十分に尊敬を受けていているのだが、それは労働者の権利については強硬派で占領当局の命令や決定などのどんな「外国からの干渉」をも拒否しているからというだけでなく、共産主義者と宗教政党の党員の両方を組合の職場代表として一つにまとめているからでもある。妥協をせず直接的で、全体に表情が読みとれない顔をしている彼が、7つの別々の職場の7つの労働組合の議長をしている。

 彼がイラク占領監視センターに語ったところによると、ブレマーの6月の通達(まるで命令でもあるかのようにイラク全土の経営者によって大喜びで実行された)は彼らには何の影響も与えなかった。ブレマーの通達は、CPA[連合国暫定占領当局]は「イラクの法律を尊重する」と宣言したもので、そのイラクの法律にはバース党独裁の反労働者的な法律が含まれていて、その筆頭は1987年の行政命令151号で、イラクの全労働者を公務員か国有企業の被雇用者に変えてしまい、独立した労働組合を禁止し、全ての労働者を監視と抑圧の機関として機能する国家が運営する組合に吸収したのである。「ブレマーの指令があってもそれ以来も何も変わらなかった。」と彼はきっぱりと言った。

 SOC組合はしかし、経営者から全面的な支持を得ている。「社長は我々の要求に完全に応じている。」とジュマは言う。「時には我々の要請に目も向けないでサインをすることがある。」そして実際、組合は購買委員会から賞与ボーナス委員会まであらゆるレベルで組合員がいて、その上組合自身のミニバスと建物を持ち、自律的な労働者の最新の再建の努力を記念する定期的な式典を開催してきた。直近のものとしてはマジュヌーンであったことだが、2週間前にKBRの資材を使うがKBRの職員の参加は全く拒否して破損した精油所を独自に再建した。KBRは職員の参加を禁止されたことに激怒した。

 「最初、彼らは資材を我々に供給するのを拒否したが、同時に我々は自らの要求を主張していた。つまり、我々はイラク人が修理をすると主張した。」とジュマは我々に言った。「それから彼らはKBRが50%でイラク人が50%で行こうと交渉しようとしたが、我々はノー、と言った。そうすると彼らは外国人労働者を5%でと交渉してきて、その次には1%だと交渉してきたが、我々はなお拒否した。どこでも近づくのを認められる外国人は運転手だけだ。」「何度もKBRの技術者が我々に言ってきたよ、『我々は君たちの働き方を笑っている』とね。そして彼らは成果が早く出たことに驚いたんだ。」

 実際、神秘化された「西洋人が一番知識を持っている」という数十億ドルの復興産業の幻想は、創意と工夫と、国連・アメリカ・イギリスが押しつけた集団的懲罰の経済制裁と職場を労働者自らのものにしようとするあらゆる動きを拒否されてきた13年間を通して学んできた経験を使って、普通のイラク人労働者が自らの国を再建しているという事実によって土台が崩された時、崩壊する。しかしながら、抑圧を受けている下でこうした技術や才能が生み出されているにもかかわらず、付帯条件が付かない訓練の増進と新しいテクノロジーがあらゆる産業レベルの労働者によって深く渇望されているのは、多様性を探り、すでに得られた技術を基礎にして、外国の専門家や企業に頼らない自立性と非依存性をもっと促進するためである。
オランダ軍がイラクで劣化ウラニウム弾を発見
2003年12月27日 著者:RISQRISQ(Review of International Social Questions=国際社会問題評論、オランダ。http://www.risq.org)
(訳 全交占領監視センター情報発信プロジェクト)

発見地点は地域のもっと多くのDU源が存在する場所

 イラク南部のアル・ムサンナ州に駐留しているオランダ軍が直径30ミリメートルの劣化ウラニウム(DU)弾を発見した。これは本日国防省によって発表された。RISQ会員のマールテン・H.J.ファンデン・ベルグによると、発見された場所はこの地域のDUがもっと存在する場所である。

 その銃弾は12月10日にアズ・サマワーの町のいわゆる「爆破の穴」の中で見つかった。オランダ軍国防省のスポークスパースンによると、銃弾の発見に参加した兵士の健康は、弾丸が破裂しておらずDUの粒子が放出されていないので危険な状態ではない。

 報告された直径から見て、銃弾はおそらく米軍が発射したものであろう。ファンデン・ベルグ氏によると、直径30ミリメートルのDU弾がイラクで使用されたのは、アメリカ軍のアパッチ・ヘリコプターとアメリカ軍のA−10「ウォートホッグ[イボイノシシ]」ジェット機だけであった。

 今年始めに発表されたこの問題についてのRISQの報告書が確認したように、直径30ミリメートルのDU兵器はアズ・サマワーへの航空機攻撃の際に、1998年と、もっと最近では「イラクの自由作戦」の時に発射された。その結果、「この地域にはもっと多くのDUの発生源が発見される可能性が非常に高い。」とヴァンデン・ベルグ氏は結論づけている。

 すでに、オランダ軍軍属組合はこの事件に対する憂慮を高めている。「先週我々は国防省の幹部と話をしたが、彼らはこの事件については言及しなかった。」とACOMのJ.クレイアン議長は言っている。VBMの彼の同僚は情報の共有化をすることで国防省と事前に合意していたことを指摘して、「これは国民大衆から隠しておくべきものではない。」と語った。

 7月に、国防大臣は国会議員に対して「最近、アル・ムサナではDU弾は使用されていない。」と断言していた。しかしながら、RISQの報告書で言われていたことによって国会議員が問題に取り上げたときに、国防大臣はそう断言したのは立証されていない情報から出たものに基づいていることを認めた。アメリカ政府が「イラクにおけるDU発射の場所の評価を出すのはまだ準備過程にある」と言うのを引用して、オランダ政府の現在の立場は、「(今回の)調査の結果を待つ」というものである。

アメリカ軍によるバグダッド北部の抵抗戦士狩り AP通信社  アレクサンダー・バソビック、マイアミ・ヘラルド紙  2003年12月17日 サマラ、イラク
 (訳 全交占領監視センター情報発信プロジェクト)
 
 大ハンマーや金梃子[かなてこ]や爆薬や装甲車両を使って、アメリカ軍は水曜日[12月17日]に、サダム・フセインを捕獲したにもかかわらず根強く続くイラク人の抵抗闘争を攻撃するために、家の門や作業場や廃品投棄場のドアを叩きつぶした。
 轟音が家の中の女性や子供の悲鳴と混じり合った。住居の門を爆破して窓が粉々に壊れ、ガラスで1歳の男の子を切った。アメリカ軍の衛生兵がケガの手当てをする一方で他の兵士たちが4人の男に手錠をかけたが、後で釈放された。

 捜索は夜明け前に始められ午前の中頃まで続いたが、バグダッド北方のサマラ市を標的としたものだった。アメリカ軍将校はサマラで約1500人の戦士が活動していて、いわゆるスンニ派三角地帯の一触即発状態がずっと続いている地の一つとなっている。
 「サマラは我々の側では少し頭痛の種だった。」とサッサマン大佐が言った。「サマラはイラク復興の際に他の都市と同じ早さではうまくいかなかった。この作戦は復興速度を上げるために計画されている。」

 一方で、米軍の上級士官は水曜日にAP通信社に対してイラク人の反抗はサダム体制の元上官による中央指令による計画が行われている兆候を示していて、その人物たちは何百マイルも離れた所で攻撃を統括し、ゲリラ部隊に現金と爆弾製造の専門技術を提供しているのである。
 場合によっては「署名爆弾」が使用されるが、仕組みが非常に似ているのでその設計は同じ製造元からのものであることを示唆している、とその将校は言った。

 「我々は個別の部隊が爆弾を製造する能力を自分で持っているのではないかと疑っている。あまりにも似通いすぎているのだ。」とその士官は匿名を条件にして増大する攻撃者の情報地図を示して言った。
 反乱の影の監督者は約5000人の反米ゲリラの中心部分によって構成された部隊と連絡を維持し、その次に中心部隊がイラクのモスクや失業し怒りを持つ市民の巨大なたまり場から何千人もの臨時戦士を調達するのだ、とその士官は言った。

 その士官は、ゲリラが一般の軍事的な意味で厳格な命令と支配の階層構造を持つ兆候を示してはいないが、何十もの独立した部隊が上層部からの指示を受け取っている、と警告した。
 連合軍は土曜日にサダムを捕まえることで大きな勝利を獲得したが、イラクの幹部は水曜日にサダムはバグダッド地域で現在拘束されていることを明らかにした。しかし暴力は首都とサダムの権力基盤であったバグダッド西部と北部のスンニ派の支配的な地域で続いている。

 北部のモスル市で、水曜日に襲撃者たちが警察官を一人射殺したと警察が言った。そしてモスルでイラク治安維持部隊がサダム支持のデモ参加者に発砲し、9人を負傷させたと目撃者は語った。
 バグダッドでは燃料輸送トラックが交差点でバスと衝突した後に爆発し、イラク人10人を殺し20人を負傷させ、最初はイラクの当局者によってサダムに忠誠を誓う勢力による自爆攻撃だと主張された。しかしアメリカ軍当局者は後になってその爆発は攻撃ではなく事故であると語った。

 ツタの猛吹雪作戦と名付けられた作戦で約2500人の部隊によって捜索をされたサマラにおいて、第4歩兵師団とイラク軍が少なくとも10数人のゲリラ容疑者を逮捕した−捜索についての密告があったらしく、他の者は逃げてしまったが。
 サマラの工業地区では、部隊はブラッドレー戦闘車両でさえも倉庫や作業場や廃棄物投棄場のドアを破壊するために使った。
 「この頃錠前屋が大儲けしているだろう。」とブラッドレー車両の上に乗ってアメリカ兵が笑って言った。

 掃討作戦はアメリカ軍が火曜日に攻撃の計画を立てていたと思われるサマワ近くのあるビルで抵抗闘争の指導者の容疑者1人と他に78人を捕まえた後に行われた。月曜日に、サマラ市のゲリラがアメリカ軍のパトロール部隊を待ち伏せ攻撃をして、戦闘が激化し、アメリカ兵士が11人の襲撃者を殺したのである。
 「奴らが米軍を攻撃したのが間違いだったんだ。」とサッサマンは言った。「我々よりこの町のことを知っている者はいない。ここを掃除してやる。」

 サダムが拘束されて、イラク人の逃亡者で最大のお尋ね者は、反米攻撃を組織していると考えられている前政権の高官のイザット・イブラヒム・アル・ドウリである。しかし、米軍当局がアル・ドウリがサマラにいると考えているのかどうかは明らかでない。
 水曜日の掃討作戦で、兵士たちは標的に事前に設定された建物を探し出すために衛生位置確定装置を使用した。
 アパッチ・ヘリコプターが頭上を飛びながら、部隊は町の中心部で14人の分隊に別れて扇形に散開し、プラスチック爆弾を突入のために使用して壁で囲まれた多数の住居の建物を襲撃した。

 ある家屋では爆発が小さな火事を起こした。他のどこかでは容疑者が頭をぶん殴られたが、兵士は言った。「死ね。死ね。」と。
 部隊はその後、工業地域に移動したが、ほとんど何も見つからなかった。ある将校が反乱者どもは大量の装備を町の外の農村に移動させたのではないかと疑っていると言った。
 サッサマンはサマラの部隊はロケット砲発射装置4台と突撃銃10数丁、爆弾製造材料も捕獲した、と言った。

 一方、アメリカによって任命されたイラク統治評議会の一人の委員はアメリカ軍がサダムをバグダッド地域で拘束していると言った。アメリカの当局者は最近、元独裁者はイラクの公開されていない場所にいると言った。
 「彼はまだバグダッド広域地域にいる。」と統治評議会のマウワファク・アル・ルバイエが言った。「おそらく彼は裁判に出廷するまでそこにいるだろう。」

 統治評議会はすでに戦犯法廷を設立しており、サダムを人権侵害の罪で裁判にかけることを希望している。国連やバチカンや他の多くの国はサダムに死刑判決を下すことが可能などんな法廷にも出廷させることに反対している−他にはイラクの司法体制がサダムを公正に裁けないのではないかという憂慮を表明した国もある。

 統治評議会のアドナン・パチャチは「裁判の全ての段階が公開されるだろう。」と語った。彼は裁判が外国人判事の任命を認めるので国際的な専門家を「いつでも歓迎する」と付け加えた。
占領に対する抵抗闘争は増加するだろう 
サミ・ラマダニ  ガーディアン紙、 2003年12月15日
(訳 全交占領監視センター情報発信プロジェクト)

 喜びは深かったが、サダムの独裁政治に反対し、サダムの戦争の中で命を失った親族や友人のことを思い浮かべて痛みも又、こらえられないほど強いものであった。
 私は行方不明になった一番の親友である級友のハジムのことを思い出すのだが、1969年にバグダッドの医科大学の軽食堂で私は彼と別れの抱擁をした。私が彼と再び会うことは決してなかった。まだ15歳であったのに、CIAに支援されてバース党が権力に就いた1963年のクーデターから数ヶ月の時点で、ハジムは勇敢にもバグダッドの我々の学校でバース党に反対するリーフレットを配布したのだ。親友のガッサンのことも思い浮かぶが、彼は長年の亡命の末にカナダの病院で亡くなった。彼は長年待ちこがれた瞬間を生きて見ることはなかった。

 しかしついにこの時が来たのだ。サダムの屈辱の降伏が、である。しかしながら、この喜ばしい瞬間は−サダムが捕獲されたというニュースが発表された時に私が話しかけたイラク人は全て喜んだ−イラクに新たに任命されたポール・ブレーマーが「紳士淑女の皆さん…、我々はサダムを捕まえました。」と自慢したという事実によって幻滅させられてしまった。

 アメリカ軍はこの捕虜をどのように扱うのか?サダムは裁判にかけられるのか?サダムによる大量殺人や犯罪の事実は明らかになるのか?裁判はどのようにアメリカがサダムを支援して化学兵器をサダムに提供したかを明るみにするのか?アメリカがどのようにしてサダムに勧めて対イラン戦争を始め、百万人のイラン人とイラク人を死に至らせたのかを明らかにするのか?サダムの裁判は、現在アメリカによって任命されたイラク統治評議会の中に非常に多数いる人物や政党がサダムと手を結びサダムを支持したことを詳細に審理するのか?イラクにかかった暗い雲はまだ取り去られていない。

 何千人ものイラク市民がアメリカが主導する不正義で不道徳な戦争によって殺され、米軍による捜索や爆撃やシャロン式の住民全員に対する懲罰によって罪のない人々が殺され続け、米軍主導の連合軍によって使用された劣化ウラン弾によって傷つけられている中で、死者の数は増加し続けている。よって、この喜びの瞬間に別の疑問がわき起こってくる。:誰がブレマー、ブッシュ、ラムズフェルド、ブレアーを裁判にかけるのか?一体、イラクは自由になるのか?

 私が知っていることが一つある。:サダムは汚い小さな穴の中から抵抗運動を指導してはいなかった。これは思いもよらない情報源によって昨日確認された−つまり、最後のイラク国王のファイサル2世の親族でありアメリカ主導の侵略の強力な支持者であるシェリフ・ビン・アリによってである。彼は言った。「事実ははっきりと説明されなければならない。サダムは抵抗闘争と何の関係もない。サダムが意気地なく降伏したので我々が知っていることを確認できる…。今や抵抗闘争と交渉をする時だ。戦闘停止を宣言するように抵抗闘争に呼びかける時だ。」

 サダムの降伏は、今まで占領を即時停止しろと呼びかけるとサダムが権力に復帰する手助けをするのではないかと恐れていたイラクの政治勢力を勇気づけているようだ。

 バグダッドとイラクのいわゆるシーア派地帯の、大部分が平和的な抵抗闘争も、もっと大きな注目を集めるだろう。過去2週間、バグダッドと南部の組合指導者たちが逮捕されている。イラク占領当局は恥知らずにも1987年にサダムが定めた政府機関内での組合活動を禁止する法律を利用したのである。しかし、そのような反対運動は弾圧するのは困難だろう。今週、いわゆるシーア派の都市のヒッラで、戦闘的だが平和的な反対運動がアメリカに任命された知事のイスカンダル・ジャワド・ウィトウィットの解任に成功した。知事事務所を包囲した数千人が彼に代わる後任者の自由選挙を要求した。

 今やサダムはもはや人々を怖がらせる恐ろしい人物ではないので、労働組合や他の大衆的な占領反対運動が、武装抵抗闘争を尊重し結びつきながら、増加するだろう。

 今や一つの要求は、武装抵抗闘争者から組合活動家まで、ほとんどあらゆるイラク人を、アリ・シスタニ大アヤトラのもとに団結させることである。選挙を行うのだ!それはアメリカが賛同するのを拒否する要求である、というのは、アメリカはありそうな結果について正確な評価を持っているからである。だからこそアメリカは市長選挙を止めるために素早く動いたし、2、3週間前にバグダッド大学で選挙で選ばれた学部長が占領当局に対する歯に衣着せぬ批判を行った後、解雇したのである。

 サダムが不名誉な終焉を迎えたためにイラク人を宗派や民族で分断しようと言うアメリカの試みを弱める事になりそうである。サダムの独裁に抵抗して死んだ全ての人々を思い浮かべて、平和的抵抗闘争と武装抵抗闘争はアメリカ民衆も含めた世界中からより大きい支援を強め引き寄せるように見える。

 サミ・ラマダニはサダム政権の時の政治難民でロンドン首都圏大学の社会学上級講師である。
アメリカの強硬な新戦術がイラクの町での支配を強める 
デクスター・フィルキンズ   ニューヨーク・タイムズ   2003年12月7日 アブ・ヒシュマ   イラク 12月6日
(訳 全交占領監視センター情報発信プロジェクト)

 イラク人の反乱に対するゲリラ戦争が強化されるにつれて、アメリカ兵士は村全体を有刺鉄線の中に囲い込むということを始めている。

 事例を選んでみると、アメリカ兵士はイラク人の攻撃者によって使用されたと考えられる建物を破壊している。アメリカ兵士は反乱者に圧力をかけて自首させることを期待して、ゲリラの容疑者の親族の投獄を始めた。

 敵対的な発砲によって81人が戦死してイラクにいるアメリカ軍にとってもっとも死者の多い月となったことが明らかになったのに駆り立てられて、11月はじめに強硬な戦略に乗り出したのだ。アメリカ軍が選択した対応は、イスラエルが占領地域で行っている対ゲリラ作戦のそのままの繰り返しを始めることだった。

 これまでのところ、新しいやり方はアメリカ兵士に対する脅威を減らすことに成功しているように見える。しかし、アメリカ軍が優位に立とうとして多くの人々を疎外するという犠牲を払っているように見える。アブ・ヒシュマは今は静かだが、怒ってもいるのである。

 アブ・ヒシュマでは、アメリカ兵士に対して繰り返し攻撃があった後、有刺鉄線のフェンスに取り囲まれ、イラク市民は出入りに列を作り、英語だけで印刷した身分証明証を各自が持って、アメリカが警備する検問所を一列になって通るのである。

 「この身分証明証を一枚持っていれば、出入りができる。」とバグダッドの北方約50マイルの村を部下が警備している大隊司令官のナサン・サッサマン中尉はなだめて言った。「しかし身分証明証がなければ出入りできない。」

 イラク人は挨拶をして列の中に車を通した。道路の反対側では、タリクという名前のイラク人が怒って文句を言った。

 「我々とパレスチナ人の間に違いは見あたらない。サダムが倒れた後にこんなことになるとは全く予想しなかった。」と彼は言った。

 イラク人の反乱者がその中で攻撃を計画するか開始したと疑われている建物の破壊行為は、何十年にもわたってガザやヨルダン川西岸地域でイスラエル兵によって使われてきた。イスラエル軍はまた、容疑者が投降する圧力になると期待してテロリスト容疑者の親族を投獄してきた。

 アメリカ軍の上官はアメリカ軍は意図的にイスラエルの戦術のまねをしているのではないと言っているが、都市部の戦闘でのイスラエルの経験を綿密に研究してきたことは認めている。戦争の前に、イスラエル国防軍の専門家がゲリラ戦と都市部での交戦の経験をアメリカ軍の指揮官たちに伝授していた。アメリカ軍はイラクでアメリカ軍を助けているイスラエルの軍事顧問はいないと言っている。

 陸軍マガジンの7月号に書いているが、あるアメリカ軍准将が、イスラエルでの最近の戦闘から学んだ教訓について聞くためにアメリカ軍士官たちが最近イスラエルに飛んだと述べた。

 「経験が我々に多くの教訓を教え続けているし、我々はその経験の評価を出して取り組み続け、我々の発想や政策や訓練に正しく埋め込み取り入れていく。」とマイケル・A・ベーン准将は書いた。「たとえば、我々は最近都市部での対テロ作戦から学んだ教訓を学ぶためにイスラエルに飛んだ。」
ベーン准将はアメリカ合衆国陸軍訓練政策司令部の政策概念戦略スタッフの副主任である。

 当地のアメリカ軍士官は新しい非情なやり方はいわゆるスンニ派三角地帯で兵士が直面している軍事的政治的現実についてより現実的な評価を下した反映だと言っているが、その地域はバグダッドの北方と西方で、アメリカ兵士に対する最大の暴力を生み出している。

 アメリカ軍が言うには、新しい戦略の基礎になっているのは、より強硬な策のみが反乱を鎮圧し、新しい戦略がゲリラを懲罰するだけではなく、一般のイラク人に対しては協力しないと損をすることを明確にしなければならない、という確信である。

 「アラブの心を理解しなければならないjとアブ・ヒシュマの門の外に立って、第4歩兵大隊の中隊指揮官のトッド・ブラウン大尉が言った。「アラブ人が理解する唯一のものは力−力と誇りと面子[メンツ]だ。」

 イラクでの米軍最高司令官のリカード・サンチェス中将は11月はじめに強行戦略を採ると発表した。その発表の後、アメリカ軍の指揮官の中にはこれから起こる光景は楽しいものではないと警告する者もいた。

 今日のバグダッドでの演説で、サンチェス中将はイラク全土での連合軍への攻撃や敵対者との銃撃は2週間前の1日40回から1日20回以下へと急減したと語った。

 「我々は連合軍に対する戦闘の回数をかなり押し戻した。我々は相当強力に反撃をしてきている。我々は彼らが作戦のペースを落とさざるを得なくした。」と彼は言った。

 その点では、アメリカ軍の新しいやり方は少なくとも短期的にはイスラエル軍の成功を共有しているように見える。つまり、イスラエルの将校は彼らの戦略がいつも自爆攻撃のような破局が起こるのを止めているのだと主張するのである。

 「何もしなければ、彼らがより強くなるだけだ。」とエルサレムのヘブリュー大学の軍事史戦略学教授のマーチン・バー・クレヴェルドが言った。

 7000人の町のアブ・ヒシュマの問題は、10月にイスラム教の神聖な月のラマダンに合わせてスンニ派三角地帯全体でアメリカ軍の軍事行動をゆるめると決定した10月に始まった。

 アブ・ヒシュマでは、他の町と同様に、アメリカ軍の交代は反乱者には恩に感じられることはなかった。アメリカ軍はいつも迫撃砲の攻撃を受け、周辺の果樹園まで追跡された。

 その一方で、道路の近くに仕掛けられる爆弾の数が急激に増加した。陸軍の車両隊は村から2、3マイル離れた家屋から再三再四砲火を受けた。

 アメリカ軍が我慢の限度に達したのが11月17日で、その日ゲリラの一部隊がブラッドリー装甲兵員輸送車の前面にロケット弾を発射した。ロケット弾には装甲貫通弾頭が付いていて、ブラッドリー装甲兵員輸送車の外板を突き破って搭乗員のデール・パンチョット二等軍曹を殺した。
 ロケット弾は軍曹の胸にまっすぐ命中した。ブラッドリー装甲戦車がまだくすぶり続けている時に、第四歩兵師団傘下の第1大隊第一歩兵隊の兵士たちがアブ・ヒシュマを包囲してゲリラの捜索をした。兵士たちは町を有刺鉄線で取り囲み始めた。

 翌日、アメリカ軍のジェット機がアメリカ軍攻撃のために使われてきた家屋に500ポンド爆弾を落とした。アメリカ軍は8人の長老と市長と警察幹部と市評議員を逮捕した。「我々はアブ・ヒシュマを強力に攻撃したんだ」とダーロン・ライト少佐は言った。

 2週間半後に、アブ・ヒシュマの町は5マイルにのびる有刺鉄線のフェンスによって取り囲まれている。18歳から65歳の者は身分証明カードを取得するようにと命じられている。町に入るのも出るのも道は一本しかない。

 「このフェンスはこの町の諸君を守るためにある」と有刺鉄線のフェンスの前に張り出された標識に書いてある。「近づいたり乗り越えようとしてはならない。そのようなことをすれば射殺される。」

 アメリカ軍はその戦術をサダム・フセインの出生地であるアウジャなどの都市で使った。アメリカ軍はイラク西部の3つの町を数日間立入禁止にした。

 「恐怖や暴力をたっぷり経験して、復興資金をたんまり使ったら、ここの連中は我々が助けに来ているんだと説得できると思う。」とサッサマン大佐は言った。

 有刺鉄線から約1マイル離れた家屋を爆撃するのは、イスラエル軍の戦術をそっくりまねたもう一つの戦術である。イラクではアメリカ軍はゲリラの隠れ家になっていると判断した多数の家屋を根こそぎ破壊するか、爆撃するか、あるいは使用不能にしてしまった。

 ティクリットでは住民たちが自分たちが言っている家屋はアメリカ軍の戦車によって根こそぎ破壊されたと指摘した。占領軍はもう帰って行ってしまった、と彼らは言った。

 「私はアメリカ人があの家を引き倒すのを見ていた。」と道沿いの所に住むアブドゥラー・アル・アジリは言った。

 アメリカ軍の将校はティクリット周辺の建物を破壊したことは認めた。最近の記者会見で、サンチェス将軍は戦略を説明したがイスラエルの経験との比較についての質問は無視した。

 「そうだな。我々が行う必要があるのは、戦争法とジュネーブ協定とそれら全ての問題に立ち戻って、そこで構造物が本来の用途に使用されていると主張できる状態をやめて軍事上の標的になる時点を明確にすることだと私は推察している。」とサンチェス将軍は言った。「我々はいまだに戦争法が適用される低強度戦争の中にいるということを覚えておかなければならない。」

 アブ・ヒシュマでは、住民は村が1日15時間閉じ込められていて、それは朝と夕方のお祈りにモスクに行くことができないということなのだ、と訴えた。彼らが言うには、夜間外出禁止令は1日中かかるガソリン購入の列に立っていたり夜間に門が閉まる前に家に帰る時間を許可しないということを意味している。

 しかし最も大きいことは、村民が話しているのは尊厳の喪失についてなのである。身分証明カードのそれぞれにはどのイラク人にも番号が与えられていて、顔写真を取るためのポーズを取る時にそれを掲げる。カードは年齢と車のタイプを確認する。カードは全て英語である。

 「これは全く屈辱的なことである。」と39歳の小学校教員のヤシン・ムスタファが言った。「我々はまるでかごの中の鳥のようだ。」

 サッサマン大佐は、パンチョット軍曹を殺した6人の男を村民が引き渡すまで、それもその男達が遠くに逃げてしまったかもしれないことを認めているのに、有刺鉄線による囲い込みを続けると言った。

 サッサマン大佐はアブ・ヒシュマの村民の多くから恐れられていて、村民は彼が家宅捜査と町を囲む有刺鉄線の責任者だと考えている。しかし彼は7000人の村から2、3人の悪人を選び出そうとしているのだから、彼が極めて困難な仕事をしているのは分かると言う者もいた。

 「サッサマン大佐、あんたはこの村で住んで族長になりに来なければばならない。」とハッサン・アリ・アル・タイが検問所の外で大佐に言った。

 大佐は微笑んだが、タイ氏は他の訪問者の方に顔を向けた。

 「サッサマン大佐は非常にいい人物だ。」と彼は言った。「もしも彼が有刺鉄線や検問所を取り去っていたら、誰もが彼のことを好きになっただろうに。」
米軍はイラク人の抵抗闘争に「無制限」戦術を採用 
ジェームズ・コナキー  「ワールド・ソシャリスト」ウェッブサイト 2003年12月1日
(訳 全交占領監視センター情報発信プロジェクト)

 10月にひどい戦死・戦傷者が出た後、イラクのアメリカ軍と同盟軍は、「主要な戦闘」が行われていた3月と4月を含めて、侵略中の他のどの月よりも11月の戦死が多かった。ゲリラ攻撃と自爆攻撃は、94人のアメリカおよび連合国の兵士と2人の日本の外交官と占領軍のために働いていた少なくとも5人の外国市民を殺した。アメリカと連合国の兵士300人以上が負傷した。

 他の攻撃では、アメリカに訓練を受けたイラク人警察官数十人を殺し負傷させた。レジスタンス戦士たちはイラク中の様々な場所で標的を攻撃する高度の能力を高めていることを示してきたが、その標的の範囲は兵士を満載したヘリコプターやバグダッド空港の滑走路や都市のホテルや警察署や石油パイプラインからアメリカの占領当局で働く個人のイラク人にまで及ぶ。反乱者たちの高まる大胆さは、先週末にスペインの情報部員を乗せた目印のない2台の車を待ち伏せ攻撃したことで際立った。7人が殺害された。

 高揚する反占領闘争に対するブッシュ政権の対応は、イラク人のレジスタンスを根絶やしにし壊滅させるために持っている手段はどんなものでも好きなように利用せよとアメリカ軍に命令することであった。
 イラクのアル・アンバー州のファルージャのような都市の治安維持を担当している第82空挺師団司令官のチャールズ・スワナック少将は、11月18日に報道陣に、司令官たちは先月までは市民の居住地域でレジスタンスの容疑者に対して戦闘ヘリコプターや対戦車戦闘機や精密誘導爆弾を使用することには「少しだけ躊躇」があったと語った。「今は我々が使用する物に何の制限もない。前進して敵と戦いまた戦争によって起きる死傷者を最小限にするために必要な能力と戦闘力を何でも使用する。」と彼は明言した。

 バグダッドの治安維持の多くを任務にしている米軍第1機甲師団のマーチン・デンプシー准将は、11月20日の記者会見で語った。「ありがたいことに、アメリカ合衆国大統領直々の一連の命令が下されていて、大統領は是非とも「アメリカが誇ることができる方法で戦闘を終結させるために必要なことはどんなことでもするように。」と私に言っている。今はやさしく言い直されているが、しかしそれはイラクのバグダッドでの闘いをふさわしいと考えるようにやり遂げる私が根本的に持つ種類の自由である。」

 スワナックやデンプシーのような司令官が過去数週間に実行するのがふさわしいと考えたものとは、イラク市民に対する野蛮なテロ作戦である。コードネームを「鉄槌作戦」と名付けられた現在遂行中の作戦は特にいわゆる「スンニ派三角地帯」を標的にしていて、この地域は住民の大部分がスンニ派教徒でバグダッドから北のティクリートまで広がり、ファルージャやサマラやバクバやバラドなどの都市を取り囲んでいる。

 この作戦の規模は大規模なものになっている。11月中旬の時点で、この作戦に参加したのはアメリカ陸軍の5つの戦闘旅団、つまり2万5000人である。

 アメリカ軍によってレジスタンスの中心だと判断されたバグダッド近隣の3カ所がこの作戦の最初の標的にされた。その地域からだれも逃げられないように頭上にヘリコプターを静止飛行させて、アメリカ軍の戦車と走行車両が初めて居住地域の区画全体を非常線で取り囲んだ。アメリカ軍とイラク警察は数百人の脅迫されたイラク市民の家屋を捜索した。500人以上の男性が占領に対する敵対者だという容疑で自宅から連行された。

 家屋や放棄された工場など、イラクの首都郊外のゲリラの隠れ家の疑いがある建物はアパッチ型攻撃ヘリコプターやF16戦闘機によって爆撃されるか機銃掃射された。ワシントン・ポスト紙の通信が11月21日に報道しているが、「骨がきしむような爆発と太鼓の音のような砲撃がバグダッド中に響いて今週、サダム・フセイン政権の崩壊以前に行われた強烈な軍事作戦の記憶を呼び起こした。」

 そのような行為がイラク人の「心と気持ち」を味方にしようという努力に影響するのを心配しないのかという質問に答えて、デンプシー将軍は報道陣に言った。「ご存じのように今、私はバグダッド市長に立候補しているわけではないのだから、アパッチ型戦闘ヘリを発進させるたびに毎回私がバグダッド市民の人気を集めるているのだと諸君を説得しようとはしない。」

 アメリカの政治支配層の多くの部分は今年の中頃から繰り返しイラク人に対する大規模な一斉検挙をしろと要求してきた。7月の段階で、ウォールストリート・ジャーナルは「スンニ派三角地帯での大規模な逮捕」の政策を採れと社説で書いていた。ウォールストリート・ジャーナルはその希望を達成した。ドナルド・ラムズフェルド米国防長官によると、アメリカ軍と連合軍は11月16日から23日の1週間だけで12000回の哨戒行動と230回の家宅捜査を行ない、1200人以上の「容疑者」を逮捕したのである。

 イラクを「解放する」ために送り込まれた後、アメリカ軍はレジスタンス戦士の疑いのある者の家屋を破壊していることを今や認めているが、その行為は占領地でイスラエル軍によって実行されているパレスチナ市民に対する犯罪的な報復攻撃と同じものである。市民の住居の破壊はジュネーブ協定[1864年に締結された捕虜などの人権に関する国際協定]の第33条及び第53条に規定されている戦争犯罪である。

 首都の南のマームディヤの町では、第81空挺部隊がレジスタンス戦士と思われる6人の家を破壊した。スワナック将軍は11月18日にマスコミに言った。「我々は彼らを逮捕し、彼らを拘束し、家族全員を家から退去させ、そしてその家を破壊した。

 アムネスティー・インターナショナルは、その家族は農場を出るのに30分しか与えられず、その後F−16戦闘機が爆撃をしてがれきにしてしまったと主張している。「ナジームの家族の家の破壊は『全くの軍事的必要性』ではなく集団的懲罰として実行されたようだ」とアムネスティーは告発している。

 アムネスティーはまた、11月16日と18日の間にティクリット地域で第4歩兵師団が15軒の家屋を破壊したと非難している。アムネスティーは、アル・ハウェダ村の例では、一家族が戦車と戦闘ヘリコプターによって破壊される前に出ていくのに与えられた時間は5分間だったと主張している。

 軍事作戦が展開されているにも関わらず、レジスタンスは生き続けただけでなく、広がりつつあるという明確な兆候がある。11月下旬に発表された数字によると、5月以来、スンニ派三角地帯でのゲリラ攻撃は2227件で、イラクの他の地域での攻撃が1416件である。この報告では、イラクのシーア派地域の攻撃の回数が8月以来で2倍になっている。反占領活動もモスルとキルクークといった北部の都市で急増した。名前は聞かないでくれと言ったアメリカの情報部員は、ボストン・グローブ紙に「心配なのは、反乱ゲリラの活動への支持がもっと広がることだ」と語った。

増大する敵意
 イラクのアメリカ兵士はブッシュ政権の作り上げた物の破局に直面している。イラクの支配を維持するためにブッシュ政権がアメリカ軍に実行しろと命令している抑圧と威嚇という手段そのものがイラク住民のますます広範な階層の中で占領に対する敵意の火に油を注いでいるのだ。

 イラク全土で、アメリカ軍が「戦争で不可避的に出る民間人被害」と呼ぶものの中で、何万人ものイラク人の家族が殺されるか手足を切断され、あるいは財産を破壊されてきた。ヒュ−マン・ライツ・ウォッチ(HRW)は9月30日現在でのアメリカ軍によって射殺された民間人の事例は少なくとも94件だと集計していた。その中には米軍の検問の道路封鎖に近づいた時に車に乗っていて射殺された多数の事例がある。他には米兵が狙撃の容疑者に対して全方向の無差別連続掃射をした時に混雑した路上にいて殺された人たちがある。

 HRWの意見はこうだ。「多くの疑わしい事件の時に妥当な時期に徹底した調査をしなかったために兵士の多くは考え直すこともなく引き金を引くことができるという刑罰を問われない雰囲気を作り出してしまった。」
 先週ガーディアン紙が手に入れた統計はHRWによる非難を実証するのに役に立つ。イラク人はすでに、家族が不当にも殺されたか負傷させられた、あるいは財産の損害が出たことでアメリカ占領当局に対して総計1万412件の訴訟を起こしている。ブッシュ政権によって任命されたカイライのイラク統治評議会がアメリカ軍に訴追から身を守る免責を与えてしまったので、アメリカ兵士には刑事告発はできない。

 アメリカ軍は被害を受けたイラク人に現金で154万ドルの支払いをしたことを認めている。しかし、補償は自らが与えた苦痛にアメリカ人は無関心で謝罪する気持ちはないのだという理解に対して火に油を注いだにすぎない。ガーディアン紙によって報道された事例だが、ある女性が車をアメリカ兵の銃弾で蜂の巣のようにされて夫と息子と二人の娘を失った。彼女の家族は自分たちの道を通っていた。検問所もなかったしレジスタンス活動も行われていなかった。1万1000ドルの補償金は4つの葬式の代金になっただけである。

 軍事的な抑圧とアメリカ軍に対する敵意の間の関係は特にモスルで最近数週間に明らかになった。第101空挺師団は17人のアメリカ兵士の命を奪った11月16日のブラックホーク・ヘリコプターの墜落に対応してモスルの10カ所のモスクへの捜索と冒涜を開始した。スンニ派の聖職者がモスルでのレジスタンスの増大の背後にいると主張して、アメリカ軍は一人の聖職者を含む100人を逮捕した。族長のサリ・カリル・ハムーディはガーディアン紙にアメリカ兵士の行為は住民を燃え上がらせたと語った。「あんなことをすれば若者をサダム・フセインの忠誠者たちや宗教過激派の手の中に追いやることになりかねない。」と彼は警告した。数日後、2人の空挺部隊兵士がモスルの労働者地域で殺害され、死体はイラク人の10代の若者たちに切り刻まれたと伝えらている。

 アメリカと世界のメディアは、主にイラクのレジスタンスをどんな取り扱いも受けて当然な非人間的なテロリストとして悪魔のように見せるために、死体を切り刻んだとされることを相当多数報道した。しかしながら、イラク人に毎日かけられている抑圧と脅迫と屈辱については黙殺しようと言う申し合わせが存在する。時には例外もあるが、アメリカのテレビや活字メディアは「鉄槌作戦」のような軍事作戦がイラク市民にどんな影響があるのかを報道したことはほとんどないのである。
世界社会フォーラム・「グローバリゼーションと戦争」集会 全世界反戦運動総会への招請状 
2004年1月16日−21日 ムンバイ、インド

 全世界の大多数が反対したにもかかわらず、アメリカ合衆国とその同盟国は違法なイラク戦争へと突き進み、これまでに10000人もの市民と兵士を殺している。しかし大量破壊兵器がいまだに発見されない一方で、新自由主義の経済政策の全面的な押しつけの一部としてイラク人の資源が売りに出されている。国有企業は民営化され、貿易は関税の大幅な引き下げによって自由化されるだろう。公式の戦争の理由が全てウソであると明らかになった今、これが石油と市場と帝国のための戦争であったことは明白になっている。
 一方、全世界規模の終わりのない「対テロ戦争」は様々な国で猛威を振るい、アメリカが全世界で軍事介入をする口実を与え、抑圧的な政府が道理のある反対意見を沈静化させる言い訳を提供している。

 このような心の痛む状況の進展を直視して、我々は反戦運動が結集し行動することを呼びかける。
 我々は、2004年1月16日から21日のインドのムンバイで開かれる世界社会フォーラム(WSF)での世界反戦運動総会に全ての皆さんを招待する。
 地球規模の戦争屋に立ち向かうには国際的で包括的な戦略が必要だと言うことを認識しているので、総会はイラク侵略以来これまでのところ最大で最も多数の反戦運動の代表が参加する会議になると予想されている。総会は全世界の情勢について討議し討論すると共に反戦運動の計画と優先課題についての計画と戦略を立てる良い機会になることを意図している。

 総会には5つの構成部分がある:
−戦略会議:反戦運動の戦略や計画や優先課題についての公開の討議と討論
−自主的に準備する取り組み:参加団体は独自にアメリカ軍基地や核兵器や反テロ法や地域紛争やパレスチナ問題などのようにより具体的な反戦課題について会議や分科会やセミナーや証拠提示や討論やパネルディスカッションを独自に組織するように奨励されている。
−活動家集会:反戦運動家や社会運動家やNGOが互いの関係を深め行動をまとめていこうとする公開の集会
−閉会総会:計画と優先課題についての運動の決定を発表し確認する。
−連帯行進:WSFを締めくくる特に反戦部門の全体行進

 反戦総会はWSFの多数の取り組みの一つであり、WSFは企業が先導するグローバリゼーションと軍事化に団結して反対し、「もう一つの世界は可能だ!」という確信を支持して団結している、地球規模の平和と正義をめざす拡大する運動の中での最大の年次集会である。
 全世界で何百万人もの人々を集めた歴史的な2月15日の反戦行動は、最初2002年ヨーロッパ社会フォーラムで発案され今年1月のWSFで共同行動計画として採択されたものであり、地球規模の反戦運動の可能性を示した。今総会はその可能性をさらに行動に変えていき、運動の勢いを持続し、将来の方向を指し示すことを望んでいる。

WFSで会いましょう。
連帯の意を込めて
フセイン捕獲に関するANSWERの声明(12月14日)
最近のイラクにおける展開についてのANSWERの声明 2003年12月14日

http://internationalanswer.org/news/update/121403hussein.html

 イラクのサダム・フセイン大統領をアメリカ軍が捕獲したことが企業メディアやブッシュ政権によって大勝利で新しい時代の始まりでありアメリカがイラクを侵略し占領することを正当化できるものだと同時に吹聴されている。

 サダム・フセインの逮捕とその姿を公開したことは、帝国主義にとっての宣伝の勝利ではあるかも知れないが、イラク情勢、特にアメリカのイラク侵略と占領が国際法とアメリカ国内法の両方を歴然と野蛮にも侵害しているという現実を何ら根本的に変えることはない。

 8ヶ月間の猛烈な捜索の後にサダム・フセインを拘留したことを祝う一方で、イラクの共同独裁者であるL・ポール・ブレマーとリカード・サンチェス中将はこの展開がイラク人の抵抗の終わりの始まりを示すものになってほしいというブッシュ政権全体の希望を表明している。

 しかし不法で植民地的な戦争と占領に対する高まるイラク人の抵抗は、−イラクにいるもっと聡明な企業メディアによってさえ−もともと特別の個人への忠誠に基づいたものではない。そうではなく、イラクの主権と独立の否定やまた占領軍の残酷さが増大している事に対する反発なのである。

 アメリカ上院諜報委員会副議長のジェイ・ロックフェラー上院議員のようなブッシュの戦争の支持者でさえ疑問を呈している。「捕獲した場所と状況から見て、サダム・フセインは反乱を指揮していなかったことは明白だ。…そのことが重要で心配なことであるのは、反乱者たちはサダムのために闘っているのではなく、アメリカに対して闘っていると言うことを意味するからだ。」

 イラクの占領がどの点から見ても植民地化事業であることには疑う余地がない。アメリカによって任命された「イラク統治評議会」はCIAの協力者のアーメド・チャラビによって率いられているが、チャラビの一族はイギリスによって支配されていた政権が1958年に打倒された時、イラク全国民の中で最も金持ちであった。イラクの財産の全てが競り売りにかけられているのである。

 アメリカは植民地スタイルのイラク警察や情報部や準軍事的な暗殺部隊を創設している。子供や祖父母を含む家族を連れ去り人質に取り、イラク人が「取り調べ」に屈服せざるを得ないようにしている。アメリカ軍はイラクの大部分で住民全員に対して「イスラエル式」の集団的懲罰と暴力を活用している。

 「恐怖と暴力をたっぷりと、そして復興事業の金をたんまり使えば、我々は彼らを助けに来ているのだとイラク人を説得できると思う。」とイラクに配備されたアメリカ軍の大隊司令官が述べた(ニューヨーク・タイムズ紙、2003年12月7日)。
彼が話をしていたのは多数のイラクの村の一つで、そこではアメリカ軍が有刺鉄線で包囲し、地域住民全員を囚人にしている。有刺鉄線にかけられた標識には英語だけで「このフェンスはここの諸君を守るためにある。近づいたり乗り越えようとしてはならない。もしそうすれば射殺されるだろう。」と書いてある。

 アメリカ政府は各国政府を不安定化し打倒して野蛮な独裁にすげ替えてきた長い歴史を持っている。イランやコンゴやグアテマラやチリを見るだけで、アメリカによって標的とされる政府の性格が民主的であるか非民主的であるかということがアメリカ政府の行動の動機になったことは一度もない。そういう文脈の中で、アメリカ政府は最も野蛮な独裁と軍事体制を支援してきたのである。

 イラク侵略と占領に先立ってイラクの前政府を長期間にわたって悪魔に仕立て上げてきたのは、ワシントンとウォール・ストリートからの名ばかりの独立を維持しようと試みるどんな政府をも軍事的に破壊しようというアメリカによるさらに大規模な全世界規模の事業の一部なのである。

 朝鮮民主主義人民共和国やイランやシリアやジンバブエやキューバやパレスチナやその他の指導者はブッシュ政権によって破壊する対象として選ばれたのである。このことは民族自決権を根本的に侵害する立場に立っている。イラクの指導者を誰にするのかを決定する権利を持っているのはイラク民衆だけである。

 これから放映されるイラクの前政府の「犯罪」について入念に制作されたドキュメンタリーを見る際に民衆は覚えておかなければならないが、ブッシュ政権は何万人もの罪のないイラク人の命を奪い、イラクを混乱と無秩序の中へと陥れ、過去何十年も植民地支配に反対して闘ってきたイラク民衆の主権の本質的な特徴を奪い取ってしまったのである。

 占領はイラク人とアメリカとその他の「同盟」軍の命を毎日奪っている。ハリバートン社やベクテル社やその他アメリカ企業が莫大な利益を獲得している一方で、アメリカにおいてもイラクにおいてもブッシュとその友人企業による略奪のやり放題の代価を民衆が血と金で支払っているのだ。政権の示す数字によると、イラク占領の費用は毎日2億1000万ドルである。政権は自らが殺すイラク人の数をわざわざ数える必要はないと発表した。

 我々は「占領をやめ兵士を今すぐ帰国させろ!資金は戦争と占領ではなく雇用と医療と教育に使え!」と要求する大衆動員の活動を継続し強化するだろう。
アメリカはイラク人を侮辱し続けている
ローレンス・スモールマン  2003年11月23日 アルジャジーラ・ネット

 http://english.aljazeera.net/NR/exeres/87345F0A-10D1-440C-B643-6BF0D5C4C4CB.htm

(写真1)アメリカ兵は今、幼い女子生徒でも身体検査をしろと命令されている。

(写真2)生徒の靴はアメリカ兵の好奇心を刺激する。

(写真3)拘束者に袋をかぶせるのはイラク人が抱く大きな敵意の原因となっている。

(写真4)地面に体を寝かせる侮辱を受けねばならないので簡単な身体検査でさえ屈辱である


 授業に向かう途中の幼い少女をアメリカ兵が身体検査している写真は新たに国際的な憤激を引き起こしている。
特ダネ写真はアメリカ主導の占領軍が幼い少女を身体検査していることを明らかにした−この措置はこの少女の両親、そして国際人権組織からも非難を受けている。
父親の一人のアブ・ムハマッドは日曜日にアルジャジーラ・ネットに、もう一度アメリカ兵士に自分の娘が触られたと聞いたら、「それが生み出す結果に責任を持てない」だろう、と語った。

 「こんな侮辱はもう行きつくところまで行ってしまった。こんな状態で生きるなんて拒否する。死んだ方がましだから、米兵を2、3人道連れにしてやる。−これは脅かしではないぞ、誓って約束する。」

アメリカの反応

 CAIR(アメリカ・イスラム関係協会)はすでに以前アルジャジーラ・ネットの写真が小さな少女たちを自宅の中で縛り上げているのを示した後、調査を行い、法的な助言を求めている。
 ワシントンのCAIRのスポークスマンのイブラヒム・フーパーは幼い子供をそのように扱えばイラクでアメリカ兵士に対する敵意を増大させるだけで、「結局は兵士の士気をもっと下げる」という展開になると語った。

 しかし米軍の上級士官は子供でも爆発物を運搬するかも知れないと強調して彼らの行為を正当化し続けている。
ノー・コメント
 フロリダの中央分司令部はアメリカ軍兵士の安全は「現地住民の心をつかむ作戦やイラクの子どもたちの権利」よりも優先すると言っている。

 中央軍司令部は最新の一連の写真についてのコメントを拒否したが、2週間前にデビッド・ファーロウ少佐がこのサイトに同じような写真を掲載するなとアルジャジーラ・ネットに警告した。
「信用できないかも知れない。第2に、必ずしも全ての事実を知らないでそこで起こったことを推測できないし、イラクで作戦行動をするアメリカ軍は任務遂行のために妥当な水準で拘束器具を使用しなければならない。」と彼は当時言った。

隠蔽
 新たに激しい批判を受ける状況になっているのだが、アメリカ主導の占領軍は今、イラク人の拘束者の頭に袋をかぶせるのが普通になっている。
 拘束された人々がどんな犯罪で有罪であろうが無罪であろうがかえりみることもなく、拘束時に頭から物をかぶせてしまう政策が常態化している。

 アメリカの人権活動家や法律家は、ワシントンがイラク人の抵抗運動を壊滅させる情報を必死に求めている時に、この精神的拷問を受け入れられる手段として採用しているのだと確信している。
 アメリカの人権を求める医師の会の理事のホリー・バークハルターは、この政策は容認できないと非難している。

 しかし彼女の話では、政府は「拷問の政策を持って」いるわけではなく、拘束者はそのような扱われ方を続けられないようにペンタゴンに確約させるための圧力をかけている。
しかしその行為が拷問であると定義する特別な政策はない。
アメリカ軍の恥をさらす衝撃的な映像
イボンヌ・リドレイとローレンス・スモールマン    2003年11月9日
 
 http://english.aljazeera.net/NR/exeres/6B135A01-B99C-41C1-B36A-53197281D21E.htm

(写真1)おびえた女性と子どもたちがアメリカ兵に縛り上げられている。

(写真2)米兵が自分を縛っているのを6歳くらいの女の子がおびえながら見ている。

(写真3)この絵ではアメリカ兵が4歳のアフガン人の子供を身体検査しているのを見せている。
 

 アメリカ兵がイラクの女性と子どもたちを自宅の中で縛り上げているのを暴露した一連の衝撃的な写真は国際的な憤激を引き起こしている。
占領軍は、アルジャジーラ・ネットが本日掲載した写真に見られるようなイラクの一般人の扱いについて新たに非難を浴びている。
CAIR(アメリカ−イスラム関係協会)は調査を実行し、行動を起こす前に助言を求めている。

 「この種の映像はイラクのアメリカ軍に対する怒りを高め、また、小さな子どもを縛り上げなければならない兵士の志気をくじく主な原因の役割を果たすだろう。」とワシントンのCAIRのスポークスマンのイブラヒム・フーパーが言った。
ロンドンに本部があるイスラム監視センターのスポークスマンはこの写真は「イラク民衆の人権に対する完全な無視」を示していると語った。彼は「普通の人間ならば子供を縛り上げるという考えそのものによって拒絶されるに違いない。」と付け加えた。

 「このような行為をやらざるを得ない兵士の精神状態を疑わなければならない。」

爆発物運搬
 IOC(イスラム監視センター)は軍事作戦の一環としてアフガンのパクティカ村の4歳の少年をアメリカ兵が身体検査していることを示す写真を最近アルジャジーラ・ネットに提供した。

 ある上級士官は子供でも爆発物を運搬していたかも知れないと言ってその時の行動を正当化した。彼はアメリカ兵士の安全が第一では住民の心をつかむ作戦に先立つものだと付け加えた。

 まさにそれらの写真がアルジャジーラ利用者の膨大で多様な反響を呼び、懸念を表明する意見をウェッブサイトに殺到させた。
 この最新の一連の写真がフロリダのアメリカ軍司令本部のCentcomに見解を求めて送付された。デービッド・ファーロウ少佐はアルジャジーラにこのサイトでその写真を公開しないようにと警告した。

 「信用できないかも知れない。第2に、必ずしも全ての事実を知らないでそこで起こったことを推測できないし、イラクで作戦行動をするアメリカ軍は任務遂行のために妥当な水準で拘束器具を使用しなければならない。」
 「アメリカ兵士は可能などの場所でも最小限の軍事力を使用するだろう。」と彼は付け加えた。
植民地の占領者
 
 しかしながら、イギリスのストップ戦争連合の代表であるジョン・リーズは占領軍の行動を非難した。
 「この種の行動はインドからイギリスを追い出した反響を作り出したもので、イラクからイギリスとアメリカを追い出すのは疑いない。」

 「イラクの米英軍は歴史全体で最悪の植民地占領軍の特徴の全てを見せている。」
ロンドンのイギリス国防省のスポークスウーマンは「司令官には受け取った情報に基づいてある範囲の選択が可能である。」と言った。

 しかし、軍部上層筋は語った。「この種の行動はイギリス軍としては極めて異例のことであり、最高レベルの許可がなければならないだろう。」
「我々はそのような行為は行っていない。我々はバスラで地元のイラク人と非常に密接に活動しており、地元の人々の心をつかむことを優先している。
 「我々は作戦の初期に恐ろしい誤りをおかし、結果として失った軍事警察官もある。それは我々がそこから学び、くり返したくない悲劇だった」
これが動かぬ証拠−米軍はイラクのサマワー攻撃でDU(劣化ウラン)弾を使用していた!
3月にイラクのサマワーを攻撃したアメリカ兵士が、DU(劣化ウラン)弾を実戦で使用したことを報告しています。以下はエド・ペンネル(第41歩兵連隊第1歩兵大隊のブレッドフォード戦闘車両搭乗員)の両親宛てのメールで、両親が教会のHPに投稿したものです。

 http://www.risq.org/modules/Downloads/EdPennellJournal.pdf

2003年3月30日
配置位置に戻るときに我々は敵7人に遭遇した。2台の車両は機関銃の発射を試み、突っ込んだ。私の車両は25@高性能火薬に切り替えた。我々は5回掃射した。最初の掃射は標準取り扱い手順によって劣化ウランで(劣化ウランは敵の装甲を貫通するように設計されている)2人の敵兵(300メートル離れている)の間にビュッと飛んでいった。次の4回の掃射は高性能火薬で1回の掃射が敵兵に実際に命中した。その結果かは−まさに絵に描いたようだった。

米軍のイラク戦争の死傷者は9000人以上に
(翻訳 イラク占領監視センター翻訳チーム)

以下訳者注-------------------------------------------------------------------------------------------
 イラクに派兵されたアメリカ兵士は15万人。戦死者が400人に及んでいますが、それだけではありません。
すでに9200人が戦死又は負傷・病気で前線から後送されているのです。全兵士の6%が「使い物にならない」ということになります。最大派兵人数はこれより多かったとは思いますが、それでもこれは「異常」と言っても良いような損害率ではないでしょうか?

 しかも、10月の1ヶ月でそれまでの57%も増加しているのです。世界最強のアメリカ軍が最新の兵器でイラクを制圧したはずなのに、です。
それだけイラク民衆の占領に対する反発が強いと言うことです。

 また、「声を上げる軍人家族の会」の訴えが急速に広がり、撤退を要求するアメリカ国内の世論が高まっている背景には、このような損害の具体的な状況が背景にあるのだと思います。
 戦死はもちろんのこと、戦場の「負傷」も悲惨なものです。英語でmaimと書かれていますが、爆弾やロケットの爆発によって手足がもぎ取られる、というニュアンスであると思います。
 このような戦場の地獄で精神上、神経上の病気になる兵士が続出していることもこの記事から読みとれます。
まして、イラク人の死者数は55000人(負傷者数はその数倍でしょう)と言われていますが、どれほど恐ろしい事態なのでしょうか?

訳者注終わり----------------------------------------------------------------------------------------------------

[以下本文]

米軍のイラク戦争の死傷者は9000人以上に

 バーク・ベンジャミン  ユナイテッド・プレス・インターナショナル[UPI]2003年11月14日
ワシントン、11月14日

 イラクの自由作戦でのアメリカ兵士の死傷者数−戦死者、負傷者、又はケガや病気による後送者−は、ペンタゴンの新しい資料によると9000人を越えた。
 死亡した397人の作戦に従事した兵士と1967人の負傷兵に加えて、3月19日から10月30日の間の戦闘が原因でない医療上の措置で後送された兵士が6861人であると陸軍軍医統監事務所が語った。
 そのため、作戦に従事した全兵士の中での総死傷者数は9200人以上になり、10月第1週以来報告された戦闘が原因でない医療上の措置で後送された兵士は3000人近く増加したことになる。アメリカ陸軍は増加についての当面の説明を行わなかった。

 退役軍人の指導的な活動家は憂慮を表明した。
 「我々は死傷者数の劇的な増加に衝撃を受けています。」と全米湾岸戦争情報センター理事長のスティーブ・ロビンソンは語った。
 戦闘が原因でない医療上の措置で後送された兵士の中で:

−2464人は車両事故によるような負傷であった。
−4397人は病気が原因である;そのうち504人は精神的な病気、378人が神経的な病気、さらに150人が神経外科的な病気であると分類された。

 「我々は特にこの戦争で精神的な病気と神経的な病気で後送された兵士のことを心配しています。第一次湾岸戦争をくり返さないために、兵士がかかっている病気の種類を明らかにするように要求しています。科学者が顕著な傾向が現れていないかどうかを判断できるように病気の特質や種類を理解する必要があるのです。」とロビンソンは語った。

 アメリカ陸軍軍医総監事務所のスポークスウーマンのバージニア・ステファナキスは木曜日[11月13日]にUPIに対して精神的な問題と神経的な問題を結びつけるのは誤解を与えると語った。たとえば、神経症の患者の中には脊髄の手術が入っているかも知れないというのである。「これでは比較ができないのです。」と彼女は言った。

 彼女はまた、精神上の理由で後送された兵士で後で休養を取って復帰した者もいる、と言った。
 10月始めにアメリカ陸軍軍医総監事務所はイラクの自由作戦で戦闘が原因でない負傷と病気で3915人の兵士が後送され、そのうち478人が精神上の問題で、387人が神経上の理由であったと述べた。

 新たに報告された戦闘が原因でない後送された兵士の総計の6861人はその時から57%の増加である。
 戦闘が原因でない後送された兵士に関する最新の資料には1628人の整形外科(骨)の負傷を含んでいる。その他の兵士の後送の主要原因は以下の通りである:

−負傷による手術831人
−心臓病289人
−胃腸病249人
−肺器官(肺)病242人
−一般的な手術634人
−婦人病319人
−泌尿器病290人
−歯の治療37人

 ステファナキスは肺疾患の問題は8月の陸軍によって調査された集団の一部の肺炎にかかった兵士を含んでいると言った。
 数字には戦場で治療された兵士や、または外傷性ストレス障害のような病気でアメリカ合衆国に帰国後でないと明るみに出ない兵士は含んでいない。

戦争が55000人のイラク市民を殺した! シャイスタ・アジス  アルジャジーラ・ネット 200.年11月11日
(翻訳 イラク監視センターHP翻訳チーム)

 イギリスに本部のある支援団体の発表した新たな衝撃的な報告によると、イラクに対する侵略と戦争と占領は、55000人にも及ぶ市民の生命を犠牲にした。

 この医療支援団体は現在、イラク侵略後のイラク住民の医療の必要問題に緊急に注目するようにアメリカとイギリス政府にロビー活動を行っている。
医療支援団体のメダクトの報告は、戦争がイラクの住民に対して壊滅的な影響を与えたことを強調して、イラク爆撃中に22000人から55000人のイラク市民が死亡したことを明らかにした。

 報告の表題は「続く民間人の殺傷:イラク戦争による健康と環境の損害」で、アメリカとイギリスの占領者は国際法の下でイラク住民の医療の必要に確実に応えられるようにしなければならないと述べている。

所見
 報告の共著者であるサブヤ・ファラク博士はアルジャジーラ・ネットに対してイラク全土が自暴自棄の状態だと語った。
 「妊婦の出産時の死亡率が増加し、深刻な栄養失調がこの1年で4%から8%へとすでに倍増し、水を媒介とする病気やワクチンでないと防げない病気が増加しています。」

 イラクは人口2500万人で、その半分は18歳以下である。戦争後のイラクでは、サダム・フセインが権力を追われて以後4人に1人が免疫注射を受けていないので、特に子どもたちがはしかにかかりやすくなっている。

 メダクトは地雷と不発弾が人々を殺し手足を切断し続けていると述べている。侵略軍によって使用された劣化ウランのような化学物質の影響が何十年後かに市民に対して現れるかも知れない。

紛争の火種
 ファラク博士はアルジャジーラ・ネットに、最近のイラク侵略の前の記録ではイラク国民の健康状態は不健康なものだったが現在の状況は限界を超えていると語った。

 1990年には国連開発指数は医療の供給、教育、平均余命の点ではイラクは130ヶ国中の50位としていた。2003年までと最近の侵略を受ける前には、イラクは174国中の126位に落ちていた。

 「イラクは決して第三世界の国ではなく、住民の要求に応えることができる相当に発展したインフラと医療システムを持っていました。今や、戦後のイラクで増大する暴力が巨大な問題を作りつつあります。」
 「戦争の影響が将来の世代の医療に衝撃を与え、状況によっては健康状態はもっと悪化するでしょう。」

支援
 メディアクトはますます困難が増す状況の下で働くイラクの医者や医療労働者へのより良い支援も呼びかけている。「この報告はイラクで医者がこれまで受けてきて現に受けているトラウマについては触れてさえいません。彼らは前線で働いているのであり、ほとんど毎日自らを暴力にさらしているのです。」

 ファラク博士は医者と再建に従事する働き手がイラクで現実に起こって事態について声を上げることが重要だと語っている。
 「医療労働者は声を上げてイラクで何が起こっているのかを外部の世界に知らせる義務があります。我々は市民が現状以上の苦難を受けないと確認できるようになるまで声を出さなければなりません。」
 メダアクトは人道と復興活動が始められるように国連に対して休戦監視団をイラクに送るように呼びかけている。

雪の旭川で「イラクに行かせない」と地元の皆さんと共に2日間8時間キャンペーン(報告)
自衛隊をイラクに行かせないキャンペーン

総選挙直前の11月8日と9日にかけて、旭川の皆さんと共に緊急の自衛隊をイラクに行かせないキャンペーンを行うことができました。

 2日間、のべ8時間にわたる目抜き通りでのキャンペーンは、ときおり雪の降る中でのアクションで、写真もビデオも濡れながらでしたが、用意した1000枚のチラシは見事1枚残らず旭川市民の手に渡り、40本の劣化ウラン弾ビデオもすべて自衛官の家族や予備自衛官をはじめ、旭川の皆さんにわたることできました。

北海道の皆さんに心からお礼を申し上げると共に、2日間の報告をします。

◆旭川平和委員会 のメールがきっかけ 「現地ではここまで進んでいるの!!!???」

きっかけは次のメールでした。
今回イラクに派兵される中心は、陸上自衛隊北部方面隊です。
その旭川ですでにイラク派遣の人選が進み、地域でもそれを支える後援会まで準備されているというのです。
緊急のキャンペーンは、なにより総選挙の争点にイラク派遣を押し上げることでした。特に派遣当事者のいる地域で「イラクに行かせないよ!」と市民が大きな声を上げることが本当に必要だと感じました。

また、北海道の皆さんの取り組みとしっかり連携して、同じく派遣が想定されている習志野や小牧での取り組みとネットワークを作っていくことができればと期待していました。突然の「訪問」にもかかわらず、小樽・札幌・そして旭川の皆さんの驚くべきネットワークと、雪をも溶かす熱い思いで、予想をはるかに超えた手応えがを感じることができました。

◆市内の買い物通りで雪降る中の8時間キャンペーン

 八日、空港で出迎えてくれた“『テロ』も『報復戦争』も許さない生かそう憲法女性たちの集い”の皆さんをはじめ旭川平和委員会の方、旭川市議の方など、「本当にいいときにきてくれた」と語る現地の人々とともに、市内の買い物通りでキャンペーンでした。

東京では想像もできなかった寒さでしたが、女子中学生の二人が「学校でNGOの平和学校の話を聴いた。絶対に人を苦しめるような戦争はだめ」と応えてくれたり、ギターに声をかけてくる人もたくさんいて好反響でした。

翌九日は、朝十時からキャンペーン開始。「自分は予備自衛官です」という人が近づいてきて、「命令が出たら断ることはできない」と苦しい胸のうちを話してくれました。そこに駆けつけてきた6条教会のクリスチャンの女性の方が「絶対行かないでね。最後まであきらめないで」と励まし、彼を励ます人の輪ができました。また、通りかかった子どもづれの若いお母さんがチラシを手に「ビデオをもらってもいいですか」。聞くと、だんなさんが自衛官で心配だとのこと。

旭川闘争団の人々も合流し、どんどんチラシがなくなっていく。殆どの人がチラシを受け取ってくれる。声をかけるとみんな弔慰金が9000万円に引き上げられてことを知っていて、政府の金と命と引き換えのようなやり方に怒っていました。

◆旭川に続き、札幌第二陣の動きも、北海道と全国をつなぐ市民のネットトワークで「イラクに行かせない」声を全国に

 旭川では、自衛隊員を含めて家族も緘(かん)口令がしかれ、口に出せない状況も伝わってきました。不安に苦しむ自衛隊家族、関係者を孤立させないで、地域の人々とともに「無謀な派遣行かせない」という大きな声を作ることができると実感しました。

北海道では、すでに第二陣として札幌の部隊の名前が上がっています。
一方で、北海道をむすんだネットワークの準備も進んでいます。
千葉・習志野や愛知・小牧ともむすんで大キャンペーンを計画したいと考えています。
アメリカのイラク爆撃と侵略1周年全世界行動デー 04年3月20日UFPJ、ANSWERなどが呼びかけ
3月20日:世界はなお戦争にNOの声を上げる!
世界行動デーに向けて盛り上がる反戦運動の勢い  

UFPJ(平和と正義のための連合)

 アメリカのイラク爆撃と侵略1周年にあたる3月20日の戦争と占領に反対する全世界行動デーに向けた運動の勢いが高まっている。
 この日、全世界の数百万人が街頭に出て平和にイエス、先制攻撃戦争と占領にノーの声を上げるだろう。数がますます増える軍人家族と兵士と一緒に参加して、我々はイラク占領とブッシュの軍国主義的外交政策を終わらせることを呼びかける。3月20日は、ブッシュによるイラクへの略奪戦争に全世界の1000万人以上が反対を表明した2月15日以来、ニューヨークタイムズ紙が書いたような世界の「もう一つのスーパーパワー[超大国]」が初めて中央舞台に立つことになるだろう。

 アメリカの反戦運動はアメリカ国内における戦争に対しても挑戦する。我々は、政治的逮捕や無期限の拘留やアメリカ国内でのスパイ活動や宗教上や人種上で差別した情報収集の権限を与えたいわゆる愛国法に反対する声が高まっていることを示すだろう。我々はテロとの闘いの名の下で行われる罪もない移民の大量逮捕や国外追放を終わらせるように呼びかける。我々はアメリカ国内で重大な社会福祉や経済政策の莫大な削減が行われている最中に巨額の軍事費の出費を行うことにノーの声を上げるだろう。

 9月に平和と正義のための連合(UFPJ)の代表が、2月15日の呼びかけを行った団体であるヨーロッパ社会フォーラム(ESF)の準備会議に先制攻撃戦争とイラク占領に反対する全世界行動日を3月20日にしようと提案をした。UFPJはイタリアやイギリスやギリシャやトルコやその他の国の代表の心を動かして3月20日の全世界デモを支持してもらうのに重要な役割を果たした。

 ヨーロッパの反戦運動の多くから強い支持を得て、UFPJの運営委員会は10月に3月20日の全世界行動の呼びかけを正式に行うことを決定した。我々はすぐにウェッブサイト上と全国メーリングリストへのeメールで3月20日の宣伝をした。10月25日のワシントンDCでの反戦行動で、UFPJのボランティアたちが3月20日のための「日程をあけておこう」の知らせが入ったリーフレットを数千枚配布した。数千人のデモ参加者とC−SPANの前でUFPは集会の壇上から3月20日の行動の呼びかけを発表した。

 我々はヨーロッパ社会フォーラムが今週後半に正式にこの提案に賛成してくれることを期待している。そうなればUFPJとESFと他の反戦活動家は2004年1月にインドのムンバイで開催される世界社会フォーラムの会議 で3月20日への支持を築き上げるだろう。
 UFPJは3月20日の戦争と占領に反対する広範な基盤を持つ世界行動デーを開始し支持を作り上げるのに決定的な役割を果たしたことに満足している。我々は全米の主要都市で地域デモが開催されると予想しているが、UFPJの加盟団体や仲間の団体と一緒にデモを作り上げることを楽しみにしている。

 UFPJの運営委員会の多くの団体がすでに積極的に3月20日の準備を始めている。声を上げる軍人家族の会や、平和を求める退役軍人の会や、米国反戦労働者の会や、人種差別に正義を911や戦争に反対する有色人種の会や、我々の名前で戦争をするなや他の反戦勢力がこの呼びかけに合流するのに強い関心を示している。ANSWERは3月20日の活動に参加すると最近発表した。

 3月20日がアメリカ国内で成功するためには平和と正義を求める最大限に広範な勢力が決定の席に着き、この日を準備する活動に積極的に参加しなければならない。UFPJはこの準備過程に貢献できることを楽しみにしている。
3月20日の準備活動を始めるのに早過ぎるということはない。以下はあなたができるアイデアである。
訴えを外に出そう

 このメールを広く遠くに回そう。UFPJは訴えを外に出すのに役立つビラ、ステッカー、情宣物をすぐに用意する。
あなたのグループが3月20日のデモ行進を支持するようにしよう。
 あなたのグループが賛成したらメールか電話でUFPJに知らせて下さい。

3月20日の地域デモ行進の計画を始めよう
地域のグル−プを集めてあなたの住む地域で3月20日の行動を計画しよう。

2004年3月20日 ANSWERの呼びかけ

アメリカのイラク爆撃と侵略1周年全世界行動デー

*兵士を今すぐアメリカに帰国させろ!
*イラク占領を停止しろ
*資金を戦争ではなく、雇用、教育、医療、住宅に使え!

 2004年3月20日、アメリカのイラク爆撃と侵略1周年に全世界で抗議行動が行われるだろう。民衆は全地球規模でイラク占領の停止とイラクからのアメリカ軍の即時撤退を要求する組織化を進めている。
 侵略の開始以来、数百人のアメリカ・イギリスの兵士と数えられないほどの数千人ものイラク民衆が殺された。イラク民衆ははっきりと言っているが、占領は解放ではなく、イラク民衆はイラクを占領している外国軍には明日ではなく今日出て行ってもらいたいのである。ますます多くの兵士と軍人家族が兵士を今すぐアメリカに帰せと声を上げている。アメリカ国内では教育費や医療費や雇用計画や住宅や他の社会福祉サービス計画の予算削減と闘いながら占領に反対する運動を作り上げるのに力を貸す人々が増加している。

 10月25日には10万人が占領を即時停止し兵士を今すぐアメリカに帰せと要求してワシントンDCの街頭に出た。さらに数万人がサンフランシスコや他のアメリカの諸都市、全世界の都市でデモ行進を行なった。この日、ANSWER連合は全世界のグループによって作られた3月20日のデモの国際的な呼びかけを広めることを開始した。我々はアメリカのあらゆるグループと団体にこの国際的呼びかけを支持し共に活動して全地球規模での統一運動の力を示すように要請する。

 あなたの町で2004年3月20日にデモを開催する計画を今始めよう。全世界の何百もの都市でこの呼びかけを配布し回覧し参加するだろう。
 我々は今後ビラやステッカーや組織化に役立つ物を用意するだろう。

−ニューヨークでは、12時にタイム・スクウェアーに集合して国連までデモ行進をする計画である。
−ワシントンDCでは12時にホワイト・ハウス集合でデモが計画されている。
−サンフランシスコでもデモが計画されている。
−ロサンゼルスではハリウッド・アンド・バインに12時集合でデモが計画されている。

イラク占領監視センター設立の目的
 平和と正義の諸団体の国際的な連合がイラクの仲間と共にバグダッドを本拠にした国際占領監視センターを開設し、ウェッブ・サイトを開いた。占領監視センターの目的は以下の通りである

・世界企業の活動など占領下の経済・復興政策を監視し、イラク人が自らの資源、特に石油を管理する権利を擁護する。
・イラク再建の財政的責任を遂行するように占領軍に圧力をかける。

・イラク人の自治への政治移行を監視する。
・他の人権団体と協力して占領当局と暫定統治機構による人権や言論の自由や結社の自由の侵害を記録し、これらの権利侵害の根絶を要求する。

・国際社会により包括的な構図を提供するために占領に抵抗しているイラクの運動の動きや計画や更生を調査する。
・占領下のイラク女性の権利と自由のどのような変化も検証し、この情報を広め、イラク国内と世界の女性グループの関係を促進するのを助ける。

・占領が雇用と労働条件に与える影響を監視しこの情報を広めイラク国内と世界の労働者の権利グループとの関係を促進するのを助ける。
・食料や水や避難所や教育や保健などの基本的な必要を得られるかなど日常の生活に対する占領の影響を監視し、イラク民衆の社会的経済的権利を代表して擁護活動をする。

・占領監視センターの役割と合致する目的を持つイラクを訪問する調査団や国際代表の受け入れをする。

国際イラク占領監視センターの創設団体

 バグダッドへの橋、コード・ピンク:平和を求める女性、グローバル・エクスチェンジ、フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス、平和と正義のための連合、全交
自衛隊が派兵されようとしているサマワとはどんなところか。(IAC サラ・フランダースさん)
(訳 全交 森文洋)

---------------以下、訳者注---------------------------------------------
自衛隊の派兵が狙われているサマワとはどんな所?

IAC(国際行動センター。ANSWERの結成を呼びかけた団体)のサラ・フランダースさんが劣化ウラン弾についてのリーフレットを執筆しています。
サマワはイラク南部の人口約12万人の都市です。でバスラからバグダッドに向かう中間点にあり、ユーフラテス川を渡る橋を控えている交通の要地です。

アメリカ軍の侵略に対するイラク軍の抵抗が強く、アメリカ軍が激しく攻撃、市民(軍人ではない!)だけでも112人も虐殺しました。そしてアメリカ政府は隠していますが、アメリカ軍は劣化ウラン弾を大量に打ち込んだことを戦闘に直接参加した兵士が暴露しています。

現在サマワに進駐しているオランダ軍が進駐する際にもサマワの劣化ウランは大問題になりました。

小泉内閣はこんな虐殺と劣化ウラン弾攻撃の土地に自衛隊を送り込むつもりです。自衛隊員は皆殺し戦争の占領軍として送り込まれ、しかもウラン兵器(劣化ウラン弾)がばらまかれた地で長期進駐するのですから、侵略者として、そして占領軍兵士の放射線被害の「モルモット」として利用されることになるでしょう。

こんな事を許してはなりません。

---------------訳者注終わり-----------------------------------------------

(以下、日本語訳です)

アメリカ兵士、退役軍人、軍人家族への警鐘
劣化ウランで「熱い」イラクの都市
DUは新たなアメリカの戦争犯罪か?

サラ・フランダース、国際行動センター 2003年8月

 アメリカの劣化ウラン[DU]兵器の使用はイラクをイラク人と占領軍の両方にとっての放射線危険地帯に変えてしまったのだろうか?
 この疑問はすでに深刻な結果を招いている。バグダッドの中心部の放射線が異常に高い[hot]地点では、報告者が通常のバックグラウンド放射能[自然界に遍在している微量の放射線]のレベルより1000倍から1900倍ある放射能レベルを測定した。

 クウェートにいる1100人のオランダ軍が米英主導の占領軍の一部としてイラクに入る準備をしているので、オランダの議会とメディアでも論争が始まっている。オランダ国民はイラクで放射性有害物質や放射線病の危険があることを心配している。

 ワシントンはオランダ政府にオランダ軍が駐留するアル・サマワ近隣ではDU兵器は使わなかったと明言した。しかしラジオ・自由ヨーロッパのウェッブサイトによれば、オランダのジャーナリストと反戦勢力はアメリカの説明の欠陥をすでに発見している。

 DUから出る放射線については、ボスニアやコソボやアフガニスタンに駐留したNATO諸国の占領軍兵士の中で、ガンや呼吸器の疾患や他の障害が出る率が増加していることを研究が明らかにして、ヨーロッパではすでに警戒が高まっている。
 全体として、劣化ウランの放射性廃物によって作られる武器の健康上環境上の危険性はアメリカよりもヨーロッパでの方がはるかに大きな注目を集めている。

 今年の対イラク戦争で、ペンタゴンは2001年の時のように砂漠の戦場においてよりもむしろ主に都市の中心部で放射性軍事物資を使用した。何十万人ものイラク人やアメリカ兵や、それと共に占領に参加するために送られるイギリス兵もポーランド兵も日本兵もオランダ兵も、その結果の被害を受けるだろう。負傷や慢性病や長期の障害や遺伝的な先天的欠損症が実際にはどれくらいの範囲になるのかは5年から10年間は明らかにならないだろう。

 今までのところ、1991年の戦争に参加した697000人のアメリカ兵士全体の半数が重大な疾患にかかったと報告している。アメリカ湾岸戦争退役軍人協会によると、この兵士たちの30%以上が慢性病を持ち、退役軍人局から障害手当を受けている。それほどまでに高率の多様な症状が起こっているので、病名を湾岸戦争シンドロームと呼ばれるようになったのである。

 障害を持つ退役軍人のこの人数は衝撃的に高いものである。その大部分は30代半ばで健康の盛りであるはずだ。湾岸地域に兵士を送る以前に、米軍はぜん息や糖尿病や心臓病やガンや先天的欠損症といった障害か慢性的な健康問題を持つ者はすでに配置変えをしてあったのである。

長期間の問題

 主要都市の中心部を汚染する何トンもの放射性廃物の衝撃は、今、軍事占領の混乱の中で生き延びようとしているイラクの人々にとってはるかに遠い問題に見えるかも知れない。彼らは夏の酷暑の中での停電や、戸別捜索や、きまぐれな逮捕や、路上封鎖の所で決まって起こる市民の射殺や、処理されない飲料水や処理されない下水や収集されないゴミのために起こるコレラと赤痢や、労働人口の半数以上の失業や、食料の欠乏−食料は戦前はバース党政権によって配給されていた−に対処しなければならない。

 しかし、こうした現行の脅威に長期的な問題が加わる。全世界で、湾岸戦争症候群と雑多で不可解な病気が高率で発生していることを劣化ウランで作られた兵器による放射線中毒と結びつけた科学機関や研究の数が増加している。

 クリスチャン・サイエンス・モニターの執筆スタッフのスコット・ピーターソンは5月15日にバグダッドの数カ所でガイガー・カウンターの計測について記事を書いた。アメリカ軍が警戒し1000人以上が建物に出入りする共和国宮殿の近くで、彼の放射線計測値はイラクでは最高値の、バックグラウンド放射能の1900倍近くになった。使用された砲弾殻がまだ地面に散らばっていた。

 バグダッド郊外では道ばたで野菜売りの屋台が新鮮なパセリの束やミントやタマネギ売っていて、子どもたちは燃えつきたイラクの戦車の上で遊んでいた。記者のガイガー・カウンターは通常のバックグラウンド放射能の1000倍近くを記録した。
アメリカは戦車を破壊するためにDUをかぶせた装甲貫通弾を使用する。

 8月4日のシアトル・ポスト・インテリジェンサー紙はバスラからバグダッドへの6カ所で高レベルの放射線を報告した。バグダッドの近くで破壊された一台の戦車は通常のバックグラウンド放射線の1500倍であった。「ペンタゴンと国連はアメリカとイギリスが3月と4月のイラク攻撃で劣化ウランでできた装甲貫通弾を1100トンから2200トン使用したと推定しているが、それは1991年の湾岸戦争で使用された375トンよりはるかに多い」とシアトル・ポスト・インテリジェンサー紙は書いた。

 シアトルのフレッド・ハッチンソン・ガン研究センターはイラク軍の戦車の銃弾口から集めたスワブ[顕微鏡標本用の微細な材料]を分析して高い放射線レベルを確認した。

放射性と毒性

 極度に高密度のDU弾はたやすく鋼鉄装甲を貫通し命中時に炎上する。炎は放射能と毒性を持つ微細なウラニウム酸化物のチリ片を放出し、それは風に乗って飛び肺に吸い込むか吸収される可能性がある。微細なチリ片はまた、土地や水にしみ出て汚染を拡大する。

 人体の中では、DUは重金属としての科学的毒性と放射線の放出の両方のために内臓を損傷する原因になるかも知れない。
 もしもそうでなければウラニウム濃縮過程の不要な副産物であるDUは、非常に安いし政府によってしばしば無料で提供されるので、軍隊と契約している業者にとっては魅力的である。

 ウラニウム医学研究センター[UMRC]によると、ウランの汚染による毒と放射線の影響は免疫システムを弱体化させるかも知れない。その影響は肺炎や流感や激しい咳のといった深刻な呼吸器官の状況や腎臓病又は胃腸病を引き起こすかも知れない。

 UMRCのアサフ・ドラコビッチ博士の説明ではその初期症状は大部分が神経上のもので、頭痛や衰弱、めまい、筋肉疲労として発現する。長期的な影響はガンや他の放射能関連の病気で、慢性疲労症候群や関節痛や筋肉痛、発疹、神経系ないし神経繊維の損傷、気分の動揺、伝染病、肺と腎臓の損傷、視覚の問題、自己免疫欠乏、皮膚の重傷状況などである。DUはまた、流産や妊婦の死亡や遺伝的な先天性欠損症の増加を引き起こす。

 長年にわたって政府は湾岸戦争症候群を外傷性ストレス障害だと言ってきた。それは精神的な問題だと決めつけられるか単に不可解な無関係な病気だと片づけられた。
ペンタゴンと退役軍人局はオレンジ剤の中毒の被害者であるベトナム退役軍人の健康問題をこれと同じやり方で取り扱ったのである。

隠蔽

 アメリカ政府はDU兵器が病気の原因になる可能性を否定している。しか、しDU兵器が広範囲に使用された第一次湾岸戦争の前に、ペンタゴン自身の内部報告はDU兵器の放射線と重金属が腎臓や肺や肝臓の損傷とガンの発病率の増加の原因になる可能性があると警告していたのだ。

 こうした危険を無視して、ペンタゴンはその後この兵器を使用して、戦車戦で大いに優位に立った。しかし、ペンタゴンはDUを使用したことが戦争の後にアメリカ兵の中で疾患が途方もなく高率になったことと関係があることを公式に否定した。

 今日ペンタゴンははるかに二枚舌の役割を演じている。ペンタゴンはDUと関連する健康上の問題で「知られている」ものはないと言い張り続けている。しかし陸軍の訓練教範はDUに汚染されたどのような設備または領域でも75フィート以内に近づく者は誰でも呼吸器官と皮膚の防護物を装着するように求めているのである。

 教範は「汚染は食料や水の摂取を危険にする」と述べている。陸軍環境政策研